「どうせ」からの脱却

参院選の開票が気になる今日という日です。

真剣にこの国のことを考えようとする若者もいる一方、「どうせ変わらない」という声も聞かれるのが残念だなと思います。

「どうせ」といっている間は何も変わりません。

私が中学生になった頃、「三無主義」という言葉が流行りました。「無気力・無関心・無感動」というものでした。自分を振り返ってみても。半径1メートルくらいの世界しか見えていない状態でした。

宿題が出ると「のんびりゴロゴロしているネコがうらやましい」と思い、試験前日でも平気で映画二本立てなんかを観に行ってしまうテイタラクでした。

世の中では「シラケ」という言葉が飛び交い、♪し~らけど~り飛んでゆく、南の空に ミジメミジメ♪という歌を伊東四朗が歌っていたように覚えています。

今は、その頃の三無主義とはまた違った「諦念」というものがあるのかもしれません。昔の私のような「やる気の無さ」とは違った元気の無さがあるのかなと感じます。「どうせ」という気分に支配されているように思われるのは私ひとりでしょうか。

若者に未来を託す、その前に、若者が自分でものを考えていけるように、私だち大人がしっかりしないといけないですよね。「どうせ」という悲しい響きの言葉ではなくて、もっと前向きになれる言葉を使っていけたらと思います。

「どうせ」から脱却した時、新しい展望が開けてくると思います。そしてそちらの世界に踏み込んでいる若者も実は大勢いるのです。その中にはインディゴチャイルドと呼ばれる素晴らしい魂を持ってこの世に誕生した若者もいるようです。

もしかしたら、すぐ隣りにいるあのお嬢さんやこの若者もそのインディゴチャイルドかもしれません!特別な使命を持ってこの世に送り出された魂だと聞きます。

みんなでよい方向に進んでいけたらいいですね。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。