「今」を生き抜く その1

週に一度通っている地元の小学校には大きな桜の木があることは前にもお話したかもしれません。

その桜の木の葉が色づいてきたなと思って今日見たら、もうかなり散っています。

一週間はあっという間ですね。

 

ここのところ、私の時間の多くが同居の義母のために費やされています。

先月下旬に家の中で転倒して頭を数針縫う怪我をした頃から、いっきに目の離せない状態になってしまったのです。

救急車で運ばれた先のお医者さんには、よくここまでご家族でご覧になっていらっしゃいましたね、と驚かれた程です。(大騒ぎして運ばれたものの、傷の処置をしていただいてその日のうちに帰宅しました)

 

物事を理解したり思考する能力が衰えたとはいえ、「こうしたい」という意思はあります。

できるだけ本人の意向を生かしてあげられたらと思ってやってきましたが、高齢になってからの転倒は本当に命にかかわるものだと思い知りました。

いよいよ介護のプロにお任せするときが来たのかなと考え、受け入れて下さる施設探しと必要な書類の作成などの慣れないことに追われる日々・・・

 

「ここならいいな」と思うのはこちらですが、「来てもいいよ」と決めるのはあちら(施設の側)なのですね。

書類を提出してから、なんと「判定会議」なるものがあるのです‼

なんでも経験してみないとわからないものです。

 

判定会議・・・

入学試験と同じか、もしかしたらそれ以上にドキドキさせられました。

なぜなら一度「NO」と言われているのです。

転倒のおそれのほかに精神面での落ち込みがあるため、対応に手がかかるからです。

 

「NO」と言われたのが昨日。

そこから次の施設見学まで、わずか2時間程でした。

信頼するケアマネージャーさんがどんどん動いてくださるのです。

 

そうして仕事帰りに新たな施設を見学し、一度帰宅してから再度書類の提出をしに行き、週末の判定会議の結果を待っていた矢先、ケアマネさんから連絡が入りました。

 

「ご連絡したいことがあります。いまお電話よろしいですか?」

一度「NO」と言われているので、心臓の鼓動が高まる感じを久しぶりに経験しました。

これで断られるとまた家族にとって眠れない晩が続くのです。

 

今朝がたタロットで占ったら、とてもよい結果でしたが・・・

 

判定会議の結果は〇でした❣

けれどもベッドの空きはない・・・

ショートステイというカタチなら何とか受け入れていただけるとのこと。

そして別の書類の提出が必要とのことで、すぐさま車を走らせてとんでいきました。

これで週末の心配がなくなりました。

ありがたいことです。

 

そうしてそこには何か大きな導きを感じずにはいられません。

色々なタイミングがぴったり合うのです‼

一連の流れをあらためて振りかえって驚いています。

 

結果的に施設の見学は3つしました。

そのうち2つはケアマネさんが車を出して連れて行ってくれました。

ちょうど仕事がオフの日だったときのことです。

 

入所には「健康診断をして医師の所見も必要だ」と知り、一応かかりつけになっている医院に連絡したら色々面倒な手続きの末、手に入るまで3週間はかかるといいます。

そこで見立ての確かな信頼するクリニックに相談したら、「すぐに診ます」と言ってくださり、わずか1週間で検査結果と所見をいただくことができました。

月曜日の夕方、クリニックの閉まる30分前というタイミングでした。

火曜日と水曜日が休診、木曜日・金曜日は私の仕事の都合で義母を連れて行くことはできません。

まさに「その日その時」しかなかったのです。

 

義母の額を縫ったあとの抜歯にしてもそうでした。

担当して下さったのは大きな大学病院の先生でしたが、融通をつけてくださいました。

私が義母を連れていける日は病院のお休みの日だったのですが、わざわざ対応して下さったのです。

その代わり、大きな病院内は暗いうえ人がほとんどいないため、方向音痴の私は中をグルグルしてしまい、お借りした車いすに乗っている義母はご機嫌ななめで大変でした(汗)

 

本格的に入所するまで当面は、これまでお世話になってきたデイサービスと、受け入れを認めて下さったショートステイに通うことになりました。

喜んで通っていたデイサービスでも、ここのところ義母は気分の落ち込みが激しくなっていますので、お世話は大変になっています。

「ご家族のほうがもっと大変でしょう💚」とあたたかい言葉をかけて下さるスタッフの方々には感謝あるのみです。

 

超高齢社会となっている今、介護の問題は国民的課題です。

夜中に何度も起こされることを体験して、この問題の深刻さを実感した次第です。

「わかんなくなちゃった」義母が落ち着いているときに、義母の魂とのお話もしてみました。

 

「わかんない」を繰り返していたのが、シータ波になると次から次へと言葉が紡ぎ出されます。

どうやら相当封じ込めてきた「思い」があるようです。

そして、まだ全部は語りたくないようです。

いつ心を開いてくれるのか。

その日は来るのか、楽しみです。

 

そもそもこの義母がいなかったらシータヒーリングにも出会ってなかったと思えば、この状況にも感謝なのです。(体はきついけれども)

 

超高齢化社会の今、介護で困っている方も多くいる今、共に生き抜くために今何ができるか模索する日々です。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。