しあわせ線を持つひとたち

今日は2年に一度ある「張会斌(ちょうかいびん)二胡アカデミー」の発表会でした。日暮里のサニーホールというところで午前午後とほぼ一日がかりで行われる会です。

天才的二胡奏者である張会斌先生の演奏を聴くことができる点で、ちょっと贅沢な会です。

私たちのグループが直接教わっている牧宮子先生は、張先生の一番弟子といった存在です。あまりに芸術家でいらっしゃる上に、日本語をあまり得意とはされない張先生にとって、何でもこなしてしまう牧先生はなくてはならない方だと思います。

たとえば今回はリハーサルが2度おこなわれたのですが、全部で25組もいる出演グループの順番やら時間配分やらを決めるのは、牧先生をはじめとする講師の先生方です。「音」に対して一切妥協を許さない張先生のご指導は、どうしても時間がおしてしまいがちです。そこを講師の先生方が「もう次にいかないと時間が足りません!」などと耳打ちされるわけです。

牧先生いわく「あの先生ったら、都合の悪いことは聞こえないふりするんだからぁ」ということみたいで、張先生にまつわるこぼれ話は面白いこと限りなしです。

では、張先生はどんな風に天才なのかというと、ほとんどあらゆるジャンルの音楽をこなすところ、そして二胡という楽器ひとつで様々な音を演じ分けることができるというところかなと思います。

ジャズ・クラシック・中国や日本の民謡・ポピュラーソング・映画音楽などなど、多岐にわたる楽曲を毎回正確に演奏するためには楽譜が必要です。二胡独特の数字譜というものがあるのですが、ひとつひとつ譜面におこす作業は並みの努力ではできないことだなと思います。

ご自分でお弾きになるだけなら譜面は必要ないかもしれないけれど、広く普及させるためには誰でも読めるものが必要です。二胡の楽譜には、普通の五線譜のほかに、「数字譜」という、音符の代わりに指番号がわかる数字、拍数がわかる記号、そして弓を「押す」か「引く」かを示す印があるだけの楽譜があります。簡単すぎてチンプンカンプンです。

さて、二胡という楽器、シンプルな構造だけに難しいのです。曖昧にフニャーっと弾いていればよいかと始めた楽器でしたが甘かった!たった2本しかない弦の音を正確に出すというのは、左手でドンピシャの位置に指を置くということなわけで、やればやる程難しさを実感するこの頃なわけです。

そこいくと、張先生の奏でる音は正確なばかりか、「色」や「光」もあります。哀愁漂う音色から、草原を疾走する風景まで、実に鮮やかに演じてみごとです。

そして今日演奏して下さった曲には、馬の駆ける音やいななき、犬やにわとりの鳴き声、風の音や波のさざめきなど、自然に存在するあれこれが登場し、驚きと感動で会場が静まりかえりました。

 

さて私たちのグループの演奏は?

ゆったりと平和を願って「花」という曲と、皓皓と明るい月と五色に輝く雲が追いかけっこするさまを描いた「彩雲追月」という曲を披露させていただきました。出来の良し悪しはともかく、楽しく演奏できました♪

張先生の「心」をダイナミックに伝授して下さる牧先生を愛してやまない私たちメンバーは、牧先生同様、「細かいことは気にしない」ことや「まわりに流されない」こと、そして「人と比べない」ところが魅力かなと思っています。「変人」の集まりかもしれません。

この愛すべき「変人」たちに共通しているのがもう一つ、「しあわせ線」があることです!

手の薬指の下にある「木星丘」はジュピターが支配しているので「しあわせ度」をはかることができます。

その丘の盛り上がり具合と、そこを縦に走る線で、その人の「しあわせ度」をはかることができるのです。

「しあわせ」は他人の評価ではありません。どんなに恵まれた環境にいても、自分で「しあわせ」を感じなければこの線は手に刻まれることはないようです。

小さな出来事でも「しあわせ♡」と思えるような豊かな心が持てるように、日々こころがけたいなぁと仲間と別れたあとにふと思った秋の一日でした。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。