今日は、昼間とんびが三羽、輪を描きながら結構低い空を飛んでいる姿が見られました。こんな穏やかな日がずっと続きますように、と思った「文化の日」でした。
さて、もしいただくとしたら、どんなプレゼントが一番嬉しいですか?
今欲しいと思っている品物を、ドンピシャでいただくことができたらこんな嬉しいことはありませんね。
それは物でなくても言葉でも、自分が望んでいることを褒められたり認めていただけたら、物よりむしろ心に残る分嬉しいかもしれません。
私の買い物は、ほとんど迷わずほぼ一瞬で決めてしまうことが多いのですが、いったん迷い始めると結構決められなかったりもします。
新しいお財布が欲しいなぁと思って、先日やっと買い替えたのですが、実は探し始めてから2年程の歳月が経っていました。
何故でしょうか?
ズバリ、「ぴんとくる」ものがなかったからです。
素敵だなぁと思うものは実はたくさんありました。
でも実際に手に取ると、「なんか違う・・・」と思ってしまったり、いま使っているものと代わり映えしない色や形だったり、中に入るであろう金額より本体そのものの方がまさってしまうようなお値段であったり・・・
ここまで迷うと、もう妥協したくないなという思いも起こってきたりします。
そう、私にとって最も恐ろしいものは「後悔すること」なんですね。
そして、後悔の恐怖から逃れるために、慎重の上にもますます慎重になってしまうのです。
さらに、娘が親に彼氏を紹介するときではないけれど、いいなとピンときたら石にまずは観てもらいます。そう、ルーンストーンに「観て」もらうのです。
そして、自分の心が反映するのでしょうね、石もなかなかYes!と言ってくれないのです。つまり「満足」や「喜び」をあらわすストーンが出ないのです。
これまでストーンの答えが的確だったことは私が一番よく知っているので、従わないわけにいきません。
ちなみに、そんな時にひいた石は、「ちょっと物足りない」をあらわす「ニィド」という石だったり、「死と再生」をあらわす「ユル」という石でした。つまり仕切り直しということです。
ちょっと残念な気持ちになりつつも、「ご縁がなかったね」とあきらめます。
ストーンをいつも持ち歩いているわけではないのですが、「今日は役に立ってくれそうだな」、とか「選択に迷いそうだな」というときはそっとバッグにしのばせます。そして「鑑定の依頼があるとき」は勿論!
そう言えば、この夏会ったK子さんはタロットカードを持ち歩いて、お買い物の時にはカードをひいて答えをいただくんだって言ってました。
面白いもので、「待ち」の気持ちで長いこと過ごすと、妥協できなくなるばかりか、どんどん欲も出て、「もっといいの無いかなぁ」と考えるようにもなるのですね。ちょっとくらい「いいな♡」と思っても、「いや、この間あそこで出会ったあの子のほうがよかったわ」なんて思って、ますます決まらなくなる・・・
もうこの辺で手を打とう!迷ってるこの2年の間に、お財布の縁(ふち)が何だかほころびはじめてる。「もう限界!」と思いはじめて一週間。
ようやく運命の出会いが訪れましたぁ。
「いいな♡」と一目惚れして、ストーンに尋ねたら「いいね♡」と言ってくれたのです。不思議なことに、その時出た石がなんだったかは覚えてないのです。というのも、そのとき「いいな」と思ったお財布はもう一つあって、そちらも「いいよ」と答えてくれたからなのです。「深い満足」を意味する「イング」か、「収穫」をあらわす「ヤラ」が出たのではなかったかなと思います。
やっと巡り会えた喜びでテンションが高くなっていたから覚えてないのかもしれません。
さてお財布の選び方ですが、革などの自然素材のものがよいとか、黄色がよいとか金色が「金」を呼び込むとか言われていてどれも根拠があるようです。が、大切なのは「気に入る」かどうかかなと思います。
これって結婚とある意味似ているなとも思いました。
気立てのいい人がいいよ!・・・そりゃやっぱり性格(馴染むかどうか)がいいのは何よりです。
見かけも大切ね。・・・しょっちゅう連れて歩くからね、気になるわ。
育ちだっていい方がいい。・・・大切に育てられ(作られ)たかどうかもみないとね。
自分に合うかどうか。・・・相手ばかりよかったら不釣り合いですものね。
でも最後は「決める」かどうか、なんですね。それは「気に入るかどうか」なのだと思います。
最初は出会った喜びでぼーっとして気づかなかったことも、慣れるうちに違和感を感じることもあるでしょうし、時によっては前の子(品物)のほうがよかったところもあるな、なんてこともあるかもしれません。が、踏ん切りをつけて新しい生活に進みだしたら、案外うまくいくかもしれません。
相手に合わせることも必要かもしれませんし・・・
さてお財布くんと私、今のところうまくやってます。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。