昨日高校2年生のクラスで古典の音読をしながら机間巡視(机と机の間を歩いて生徒の様子を見て回ること)をしてましたら、ひとりの生徒が私の顔を覗き込んで「先生のアイライン長くない?」とつっこんできました。そして人の顔をまじまじとながめたあと「あ、ちがった!目じりのしわだった‼」
何人かがクスクスっと笑いました。真面目なムードが一気に楽しい雰囲気に変わり、楽しさの波紋がクラス全体に広がりました。そうです、それはその子の、私への親しみの表現だったのです。「話題にしてくれてありがとね!」と私は答えました。
こういう気のおけないやりとりが私は大好きです。
「先生って変わってるね‼」」とか言われると、もう嬉しくなってしまいます。そして「最高の褒め言葉をありがと♡」と言います。
そうなんです。わたし、変わってるとか、ちょっと違うねとか言われると、もっと喜ばせようとなんでもしてあげてしまいたくなる、まさに「変わり者」なんです。
ただの変人では困りますが、ユニークな存在でありたい、柔軟な発想ができるようでありたい、臨機応変に対応できる人でありたいということなのだと思います。
若い頃は「キレイ」と言われたくて、どうしたらキレイな人になれるかなぁと本気で考えたこともあります。顔のつくりはかわりようがないので、何とかメークで頑張ろうとしたこともありますが、メークって頑張れば頑張るほど濃くなっていくばかり。
キレイにしたつもりが写してもらった写真を見て、白塗りのお化けみたいなのでがっかりしたのを覚えています。
「キレイ」のために次に考え付いたのが、中身をよくすること、でした。
つまり、よい人間性のひとを目指そうと思ったのです。そしたら「キレイ」は無理でも、「いい顔」にはなれるかなと思ったんですね。
これは、なんでもないときはまあまあできるのですが、たとえば子育てしていたり、本気で本音でぶつかったりするときって忘れてます。
そしていつの間にか、キレイな人を目指すのはやめていました。
今は、自分がキレイでいることよりも、そのとき一緒にいるひとが幸せであるようにという気持ちが強くなっています。そのためなら、おそらく大概のことはできるんじゃないかな。
「優しい」という言葉も言われたら嬉しくないことはないけれど、これって当たり前のことだと思っています。私のまわりで優しくない人ってあんまり思いつきません。ひとそれぞれ、いろんなかたちで優しかったり、そうでもなかったりしますよね。
「優しさ」のポイントが人によって違うだけなのではないかなと思います。そして人と人が仲良くなるって、その「優しさ」のポイントがうまくかみ合うってことなのじゃないかなと思います。
「冷たい」と言われる人は、優しさの示し方が上手ではないか、優しくされた経験が少ないだけだと思います。冷血な人間ているのでしょうか。冷血になるときは確かにあるとは思います。そして戦争では人は冷血にならざるを得ませんね。だから危ないんです。あとで苦しみます。苦しみは続きます。本来冷血でいられないのが人間ですから。
「日本昔ばなし」の主題歌ではないけれど「人間ていいな」です。
さて、あなたはどんな褒め言葉が最も嬉しいですか?
そしてそれは何故でしょう?
ひょっとして、そんなところから自分を見つめてみることができるかもしれませんね。
今日は暦の上で望月、そう満月です。先ほどベランダで30分ほど、雲のかかった月と向かい合っていました。「愛」という言葉が聞こえた気がしました。
やはり最も大切なものは「愛」なんでしょうね、そんな気がします。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。