人は誰でも幸せになりたいと願っています。
そうでないという人はまずいないと思います。
そのように生まれているからです。
ほぼ生まれながらに霊視能力を身に付けてらした江原啓之さんは、
私たち人間はみな「堕天使」だとおっしゃいます。
翼の折れたエンジェル🎵なんていう歌もありますね。
「堕天使」と聞いて皆さまはどのように思われますか?
自堕落な感じがしますでしょうか?
何か悪いことをしてしまったから天上界から追放されて地上にやって来たというイメージです。
これはネガティブな捉え方ですね。
それとも、もとは天使なら生まれは悪くないのでは? と捉えられたでしょうか。
そうです、もともと「神性」を持っていたという考え方です。
こちらはポジティブな見方ですね。
同じ言葉を聞いても、捉え方によってその次の行動が違ってくるのではないかと思います。
どうせ追放されたダメな存在なら、何をやっても変わらない・・・
「どうせ」というのは負のスパイラルにどんどんはまっていく考え方ですね。
クルクル回りながら下降線をたどっていってしまいます。
反対に、もともと自分の中に「神性」があるのだとしたら、そこに戻っていけるかもしれない
とも考えることは可能ですね。
ここには希望があります。明るいですね。
さて「シータヒーリング」は、答えは全て自分の中にあるという考えのもとでおこなっています。
私達の存在は、もともと光であった。
つまり神と共にいた。
別の言い方をするなら、私たち自身が光であった。
それが江原さんの表現を借りると「堕天使」ということなのでしょう。
何か悪いことをして天上から追い出されたわけではなく
何でもできてしまうのもつまらないから
地上に遊びにきているんだ
そう考えたらなんて自由なのだと気が付くと思います。
それこそゲームをしている感じです。
「できる」人は、ちょっと難しい問題に挑戦しますよね。
ゲームをより楽しむために、わざと負荷をかけてみたりもしますね。
初心者にはビギナーズラックなんてこともありますね。
生きることがゲームのようだと言ったら、真面目に日々生きている方には「不謹慎」と受け止められてしまうかもしれませんが、これも受け止め方次第です。
ゲームのようなものなら、もっと楽しんじゃえばいい‼という考え方だってできるわけです。
そして「楽しみ方」にもそれぞれ「個性」や「癖」があるように思います。
いずれにしろ、最終的に帰るのは神のところです。
神といってもカタチはありません。
光といった方がわかりやすいかもしれませんね。あるいは宇宙とか、天とか・・・
今は屈折してしまっていても、
暗い海の底にいるかのように光が感じられないことがあっても、
あるいはトンネルの中にさまよいこんでいるように感じられたとしても。
それでも私たちは光の存在です☆
自分を信じるとは、自分は光なのだ、神に帰っていくものなのだと自覚することなのだと思います。
そして自分を信じるとは、全ての答えは自分の中にあるのだということなのです。
脳波をシータ波にしてみると、「なるほど!」と実感できると思います。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。