新月に導かれた出会い

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな

紫式部が幼馴染みと出会ったものの、本人かどうか定かにわからないうちに別れの時を迎えたことを詠んだ歌です。

今日、たまたま仕事がオフになったおかげで、四半世紀ぶりに大学時代に親しかった友人と会うことができました。ちょうど新月の日だということも意味があるかもしれません。しかもただの新月ではなくて、ひと月に二度ある「ブラックムーン」の日であることも面白いことだと思います。

大学時代に仲がよかったのだけれど、途中で彼女がいわゆる転部をしたため接点が少なくなり、卒業の頃彼女は留学してしまい、それ以降音信不通状態だったのです。

この夏母校に用事で訪れた際に、彼女が尊敬していた教授とお会いしたのですね。そのときに彼女の名を告げたら「いま三田で教えているよ!」とのこと。実際は三田ではなく日吉でした。

それで今日の邂逅(かいこう)とあいなったわけですが、時間はいとも簡単にときの隔たりを飛び越えてしまうんですね。まるで昨日別れた友と今日も会ってしまった、という感覚でした。

30年程の積もりに積もった話を互いに披露してあっという間に別れる時間が・・・

 

夜にはシータヒーリングでお世話になった長谷川暢子先生のお宅にて新月の瞑想会。アロマオイルをいくつかある中から直観的にひとつずつ引き当て、自分と向き合う訓練です。みんな面白い体験を瞑想中にすることができたようです。

そしてもう一つ、新月にふさわしい瞑想も体験しました。自分が死ぬ時を観るというものです。先生の導きのもとにイメージをしていくのですが、私は先生の言葉の前に既に始まってしまいました。

それは、白い大きな鳥が45度くらいの角度で空に上昇していく感じでした。ある程度の上空まで行ったら、その後はロケットくらいのスピードで宇宙に飛んで行ってしまいました。

その映像が見えたあと、先生の言葉を具体的に自分に落とし込んでいきました。具体的には自分が荼毘にふされるところを斜め上から眺めることをするわけです。そこでははっきりした映像はもはや浮かんでこなくて、ただただ涙が流れるのでした。

あとに残したひとたちとの別れがつらいというのとも違います。悲しいのでもさみしいのでもなく、自然と涙が流れたのです。

気持ちとしては、「けっこう大変な人生だったけどよくがんばったね」みたいなものだったと思います。自分で自分を認めてあげる作業だったのかなと思います。

国をまたいで活躍しているY子さんはこの夏出会った素敵な女性ですが、哲学の勉強を大学ではじめられた方でもあります。

彼女の言葉をお借りすると・・・「哲学の学際的な分野に死生学というのがあるのですが、自己の死に直面する前に事前練習(瞑想)って新しい❢」とのことです。

帰り道は、ハロウィーンの仮装をしたお化けさんたちとたくさん出会いましたが、彼らもまたこんなかたちで死を再現してるのかなぁと思ったら、何だか仲間みたいに思えてきました。それにしても、ぎょっとする程リアルなもの、痛々しいものが多くて、一度あの世を体験した後は美しい姿でしっかり現実世界で生きていってねとも思いました。

Y子さんとも再会できたし、一方で新しい出会いもありました。映画が好きなアメリカの少女のような方です。ふたりのお子さんのママと聞いてびっくりしました♡

そうそう昨日は新月でもありました‼

さそり座の新月です。変化変容を意味する時だといいます。新しいことの立ち上げなどのお願いごとを是非このタイミングでなさってみてくださいね。

今日もあなたがしあわせでありますように♡

夕方の都庁からの眺めです。富士山のシルエットが見えます。

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