幼いころ、誕生日が好きではありませんでした。
とっても恥ずかしがりやだったので、たとえ家族でも、
「美也子ちゃん、お誕生日おめでとう❤ 拍手パチパチパチ」みたいのが本当に苦手でした。
たくさんの人に囲まれて「おめでとう!」って言われるのが、恥ずかしくて、どうしたらよいのかわからなくて、
お誕生日の歌を家族で歌ってくれるとか
ケーキのろうそくの火を吹き消すのとか
「いいから。お願い、注目しないで!」って感じで逃げたい感じでした。
こういう子って可愛くないんですよね。
だから私のことを可愛がってくれた父、母、おばちゃん、おじちゃん、えらいなあと思います。
可愛いげない子に愛を注ぐって「神わざ」に近いですもの。
いつからでしょう、感情を出せるようになったのは。
今では自分でも抑えきれないくらいの愛❤を日々感じて暮らしています。
人は変われば変わるものです。
そんな私、今日2月10日が誕生日なのですが、たくさんの祝福をいただき、本当に嬉しいなと思います。
ありがとうございます。
そして、今日はいつもと違う過ごし方をしてみました。
2011年に今の学校に移ってから、毎年この日が入試であるため、採点に駆り出されていました。
今年は、ソプラノ歌手の吉村美樹さんという方からヴァレンタイン・コンサートのお招きを受けて行ってまいりました。
実は昨年12月に実の弟が亡くなりました。
その弟は船に乗る仕事をしていました。
クルーズ船(富士丸・パシフィックヴィーナスという船)のイベントの企画運営の仕事をしていたのです。
弟は最後には独り暮らしだったので、葬儀の一切は私が執り行い、
父母共に、もうこの世にはいないので、遺骨も私がひきとりました。
あまりに急な最期だったので(入退院は繰り返していました)
身内以外お知らせもできない葬儀でしたが
思いがけなく仕事関係の方が式場いっぱいにつめかけて下さり
そのために急きょ席を設けて・・・という感じでした。
弟の友人であり、取り締まり社長である方の声掛けで会場がいっぱいになるくらいの方が集まったのでした。
噺家さんや芸人さん、イベントを一緒に立ち上げた仲間の方たちが男泣きして下さったのに心うたれました。
参列できなかったけれどせめてお線香を、という方たちは
私が仕事をしていることを考慮して、同じ日の同じ時間を選んで
12月半ばの寒い日に、ここ日野までいらして下さいました。
到着しましたという知らせがあり玄関を開けたら、家の前に10人もの方がずらっと並んでらしたのにはびっくりしました。
その全員が船のイベントの関係の方たち
ジャズシンガー
ソプラノ歌手
マジシャン
照明さん
楽器演奏家さん
同じイベント製作のお仕事の方たち・・・
驚いたのは、おひとりおひとりが弟の写真に向かって語りかけることでした。
号泣される方もいらして、しかもいらっしゃる間、ずっと泣き止まない方もいらして
「船で共に過ごした仲間の絆は深いんです」の言葉に胸が震えました。
また「堀川さん(弟の苗字・私の旧姓でもあります)がいなかったら今の私はいません」という方もたくさんいらして
そんな風に言っていただく弟は幸せだなと感じました。
今日私をお招きしてくださった吉村美樹さんもそのひとり。
コンサート最後の曲の紹介のときに
「お世話になった堀川さんの知らせを聞いて新幹線に乗ったときに『アヴェ・マリア』が天から降ってきた」と語ってくださいました。
その美樹さんのコンサートがちょうど今日であったことも何かのご縁かもしれません。
プッチーニの曲から「ジャンニ・スキッキ」の”私のお父さん”や「トゥーランドット」から”誰も寝てはならぬ”のオペラ曲も素晴らしかったけれど、美樹さん訳詞の「彼方の光」武満徹作品の「小さな空」など心に沁みわたりました。
会場のカフェに歌声が本当に響きました。
その響きが心にもズンズン迫ってきたのでした。
また私の誕生日ということで、ハッピーバースデイの歌と共にプレゼントまでいただき、美樹さんの心配りにも驚きました。
歌の間のお話もまた楽しく、歌や語りで魅せて聴かせての素敵なコンサートはあっという間でした。
弟が結んでくれた素敵なご縁に感謝した誕生日でした。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。