ダッシュする人・タダで働くひと

昨日出勤の電車に比較的余裕をもって乗り込んでいましたら、扉が閉まるときにダッシュして飛び乗ってらした方がいらっしゃいました。転びそうな勢いでしたが、何とかもちこたえてセーフ!

なんとご近所の、品のよいおばちゃまでした。「おばちゃま」と世間は見るというのが正確かもしれません。だってそのおばちゃま、御年90を超えてらっしゃるのですから。

「映画に誘われてね、往年の懐かしい作品をやるからと誘われてこれから観に行くのよ」とおっしゃいます。「この後の電車でも十分間に合うのだけれどね、電車が来てるって思ったらつい階段をかけのぼっちゃったの!」

さらに「転ぶところを見られなくてよかったわぁ、恥ずかしい‼」と転びそうだったことを恥じ入っていらっしゃるので、心の底からびっくりしました。

普通は、次で間に合うなら(しかもたっぷり間に合う時間の設定です)走りません。といっても、いつも時間に追われている私は習慣で走ってしまうかもしれません。でも、90を過ぎた方でしたら、まず、階段を駆け上ろうとはしないし、飛び乗ろうともしないでしょう。

ところが、その「おばちゃま」は駆け上ったし、飛び乗ったのです。

鍛え方が違うなと思いました。精神も肉体も。

背筋もシャンとして、速足で歩く美しい後ろ姿にいつも感心していました。ご自分より年下のおばあちゃんの荷物を持ってあげたりする方でもあるのです。

乗り換えで降りるまでお話をしましたが、最後に誕生日の話になりました。以前寒い日にお宮さん(氏神さま)で朝お目にかかった時に「今月お誕生日なの」とおっしゃっていたのを覚えていたからです。私と同じ月だったから鮮明に記憶に残ったのです。

すると生まれた年は大正でいらしたけれども、日にちは私と同じでした。

90を過ぎてのスーパー元気、そして美しいお背中の「おばちゃま」と同じ日に生まれていたことで、しばらく私もその半分くらいの元気を分けていただけたように思いました。

 

夜は夜で、お世話になった方のために、自分の大切な時間をあてて介護をしに行くという青年と話をしました。介護してさしあげる方は、事故で身体は不自由になってしまったものの、まだ若くて元気で睡眠時間も短いので、それにつきあうのだそうです。

一週間に1回その方のお宅を訪問して、身のまわりのお世話をして、その彼が眠りにつくまで共に時間を過ごすということなのだそうですが、奉仕だからお金をとらないというんですね。報酬を下さる気持ちは多分にあるということです。

「長く続けるためにも、下さるというものを断らなくていいんじゃないかな」とごくごく普通の感想を言ってしまいました。感謝の気持ちを受け取ることも大切なことかなという意味もあります。ちなみに、これは雑談です。鑑定ではありません。

そんな青年に、持ち歩いていたルーンストーンを一つひいていただきました。掴んだ石が「イング」という喜びをあらわすものでした。青年の美しい心があらわれたかなと思いました。

 

世の中には、まだまだびっくりすることをさらっとやってのけてしまうつわものがいらっしゃるんですね!

朝から晩まで驚きに満ちた一日となりました。

皆さまのまわりにもびっくりするようなスーパーな方はいらっしゃいますでしょうか。

「こうでなければならない」を超えたとき、人はいくらでも自由に自分らしく生きられるものなのかもしれません。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。