ドッキドキの電話

今日、高校の授業を終えて自分の机に戻ると、メモが置かれています。

そこには「〇年〇組の誰それさんの保護者の方からお電話がありました。直接下川先生とお話がしたいそうです」

という内容です。

 

ドキ~ッとしました‼

 

私、常に全力で生きてるつもりなんですが、そそっかしいんです。

とっさにいつも思うこと。

「あれ、私、何をやらかしたんだろ?!」

 

氣になることは早くかたづけよう‼ と思ってすぐに自分のスマホから電話をいれました。

 

詳しい事情は聴きませんでしたが、どうやらその生徒は自宅ではないところで、たくさんの仲間と暮らしているらしいんです。

電話を下さったのは、親代わりにその子の面倒をみて下さっている方。

 

その子の部屋に私からの手紙が飾ってあったので、どんないきさつがあったのかうかがいたくて電話しました、とのこと。

 

この時点で、私はまだ、この方が「不審」の思いなのか、よくのみこめてません。

 

短い休み時間、ひとまず電話を切って、自宅に戻ってから再びお電話します、とお伝えしました。

 

そして、帰宅後の夕方、今度はゆっくりお話できました。

 

どうやらこの生徒は何らかの事情で親御さんと離れたところで暮らしているらしいんです。

親代わりに面倒をみて下さっている方と生徒の関係などは詳しくはうかがいませんでした。

お電話下さった方は、高校生数名、中学生、小学生もそれぞれ何人か、そして幼児・・・とご自分のお子さんも含めてたくさんの子を育てていらっしゃるそうです。

お部屋がどんななのかもうかがいませんでしたが、生徒である〇〇ちゃんの部屋の「大切なもの」がまとめて飾ってあるところに、私からのお手紙も飾ってある、きっと「何か」があったに違いない、いったい何があったのだろう❓

私は手紙の最後に自分の名前を書きましたから(文字の雰囲気で「先生」なんだ!とわかったのでしょう)私あてに電話をかけて下さったのだそうです。

 

なぜ手紙を書いたか。

2月に、生徒たちの心が落ち着かなくなる「あること」が起こりました。

ほかの教師たちが対応にこまったのでしょう「黙って勉強してればいいんだ」と言っていた(らしい)とき、

生徒の真剣なうったえるようなまなざしを感じて、授業の代わりにお話をしました。

 

1時間の授業のほとんどを生徒からの問いかけに応えることに費やしたのです。

それくらい「大変なこと」が起こったからです。

私にもその「大変なこと」へのの正解はわかりませんでしが、傷ついた生徒たちの「心」に誰かが向かい合わなくては‼の思いで本音と本氣の話をしました。

 

あと5分で授業が終わるというところで、ふと

「私ばっかり喋っちゃったね、みんなも何か言いたいよね‼ 伝えたいことがあったら書いてね」

と言って、教室に置いてあった裏紙をざくざくと切って配りました。

 

するとほとんど全員が、渡した紙いっぱいに悩みごとや心配なこと、学校への不満から家庭での悩み・・・などなど書いて持ってきました。

 

小さな紙に小さな文字で書いてある手紙もあります。

 

それを見て思わず「ひとりひとりにちゃんとお返事書くからね❤」と言ってしまったのです。

 

一つずつ大切に読みました。

でも30人近くにお手紙書くって、いっときの思いで言ってしまったもののかなり大変なことでした。

その後廊下でそのクラスの子たちに会うと、彼女たちは言うんです。

「先生、お返事楽しみにしてるからね❤」

 

まいったなぁと正直思いました。

自分で自分の首を締めたなぁとも思いました。

そうでなくてもやることがいっぱいなのに!

でも生徒にとっても大切な人生。

その人生を賭けた質問をしてきている子がほとんど。

 

その場は頑張れるんだけど、

もともと宿題が苦手な私にとって、それは楽なことではありませんでした。

でも、一生懸命書いてくれたその気持ちを思ってお返事書きました、全員に‼

 

テスト明けの授業で、ひとりひとりに手渡しました。

テストの返却のときは大騒ぎしたり、時にはひったくるように片手でつかんでいく子もいるのに、

お手紙を渡したときは全員が両手で、卒業証書を受けとるみたいに、嬉しそうに受け取ってくれました。

 

しかも「ありがとうございます❤」という言葉と共に・・・

 

そうやって書いた手紙のひとつが〇〇ちゃんのお部屋に飾られていた、というわけです。

 

 

結果的にとっても嬉しいお知らせを告げてくれる電話、でした。

 

さらには、その子がそのご家庭で、優しい気持ちでほかの子どもたちに貢献しているという話もうかがうことができました。

 

世の中には必ずしも「恵まれた」家庭環境で過ごせる子ばかりではありません。

でも何が「恵まれた」ことなのか、時に考えさせられることもあります。

 

どんな状況であれ、結局は「心の豊かさ」にまさるものはないと思います。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。