今日は念願かなって、会いたかったピーターラビットに会いに行ってきました♡
何でも話せるご近所の仲良しママと一緒でした。
何でも話せる方がご近所にいるということは本当にありがたいことです。
お互い同居の夫の親のお世話をしていることで、共通項が多いからわかりあえる部分が大きいことも理由のひとつでしょう。
でも何といっても、互いに言っていることの裏を読まない点が楽なのだと思います。
大切な時間です。
伝えたいことを真っ直ぐに受け取って下さらない方とお会いすることはなくなりました。
時間は「命」です。
「命」を大切にするとは、時間を大切にすることではないかと遅れ馳せながら気づいたのです。
とは言うものの、元来のおせっかい気質から、ほっとけない自分もいます。
だから、このお仕事をしているのでしょうね。
さて、ピーターラビットの生みの親はビアトリクス・ポター。
英国の裕福な家庭に生まれた彼女の絵の才能を見出したのは、父の客として湖水地方の避暑地に遊びにきていた牧師さんでした。のちのナショナル・トラスト運動につながる活動をしている人物でもありました。
ご存知の通り、ピーターラビットのシリーズにはリスやカエルのほか、ネコさんブタくんなどがリアリティも持ちつつも擬人化されて、個性豊かに描かれています。
四本足の生き物たちが二本足になった途端、「おしゃべり」を始めるんですね。
そうして、登場する生き物たちは必ずしも「いい子」じゃないんです。むしろ「いい子」以上の魅力を持っている、といった方がよいかもしれもしれません。
ピーターがチャーミングなのは、彼がいたずら好きだからかもしれません。
失敗したりドジをしたり・・・案外「愛される」要因ってそんなことだったりします。
だとしたら、人間だって「完璧」である必要は何もないんだなと思います。
その昔に流行した脚本家が、「主人公を魅力的にするには、何かひとつ大きな不幸を与えることだ」と言っていた気がします。
みなしごである、とか
貧しい暮らしをしている、とか
病気を抱えている、などなど・・・
ピーターの場合は、お父さんはパイにされて食べられちゃった、という悲惨な目に合っています。残酷ともいえるお話ですね。
だとしたら、私たちが日頃コンプレックスに感じたり、マイナスだと思っていることが、案外チャームポイントかもしれません。
あんまり可愛くて、我が家に連れて帰ってきたピーターです。右からと左からとどちらも捨てがたいので両方お届けします♡
後の2枚は訪れた美術館のカフェの椅子です。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。