いつ気づくか?

緑が目に眩しいこの頃です。

連休中に出かけた北陸では、田植えの真っ最中でした。

また、夏野菜と呼ばれるものは今が種を蒔くシーズンのようです。

むかし、よくこんな手遊び唄をうたったものですがご存知でしょうか?

🎵お寺の花子さんが かぼちゃの種を蒔きました

芽が出て ふくらんで 花が咲いて 実になって

は~なこさん は~なこさん🎵

「実になって」のところを「枯れちゃって」と替えてうたっているのを聞いたことがありますが、花がさいた後は実をつけてほしいと思ったりします。

 

それにしても、植物の種や球根から芽が出る、大きくなる、花が咲き、そして実がなる・・・という一連のサイクルが起こることって考えてみれば不思議です。

 

さて、鑑定やセッションでお見えになる方の中に、「悪いことは言わないでください」とおっしゃる方がたまにいらっしゃるのですが、ご安心下さい、私に見えるのはまず人の長所なのです。つまり、よいことの方が浮かび上がってみえるのです。

 

「悪いことも指摘しないと・・・」という鑑定や、「悪いところをなくすことこそ肝要」という考え方もありますが、私はよいことで自分を満たしていくうちに悪いところは消えて無くなってしまう、と考えています。

「消えてなくなる」という表現がオーバーなら、「気にならなくなる」と言った方が適切かもしれません。

 

それに、世の中で「短所」と見ていることだって、もしかしたら「特徴」かもしれないし、「個性」につながることだって考えられます。

 

たとえば「私は人見知りなんです」という方が私のところにお見えになったとします。

「人見知りで困っている」なら変えていけばよいのだけれど、「人見知り」自体が別に悪いわけではないのです。また、「人見知り」であることで何かが守られているということも考えられます。

つまり「人見知り」で困っているなら変えることも可能ですし、それがかけがえのない個性であるならば大切にしていってもよいのです。「人見知り」だと慎重につきあう人を選ぶから失敗が少ないかもしれませんし、おつきあいする方とは深い関係性を構築されていくように思います。それでも変えた方がよいと考えるなら変えていけばよいのです。

 

これは色々なことに当てはまるので、「困っているなら変えていく」「困ってないならそのままでよい」ということになります。

 

みんながみんな同じキャラクターでなくてよいし、違いを尊重し合うのが寛容な世界だと思います。

そうすると、世間で「短所」と思われていることが実はその方の「宝物」であったりするかもしれないのです。

 

そういった意味で、私には人の「長所しか見えない」のです。

「長所」といって語弊があるなら「個性」と言い換えましょうか。

 

肌の色の違いや、目の色髪の色の違いと同じように、性格も個性です。

まずは自分をありのままに受け入れてみることです。必ずよいところが見えると思います。

見つからないという人は是非お出で下さい。

一緒に宝探しをいたしましょう❢

その宝物に気がついたら、自然と笑ってしまっている自分がそこにはいます❢

 

今日「自分のよいところがみつからない」とシータヒーリングを受けにいらした方も、セッション終了後、たくさんのご自分の宝物と出会えて「思わず笑顔になっちゃう❢」と幸せのオーラに包まれてお帰りになりました。もともとステキな方なのに、「どうして?」と不思議に感じる程「長所」をピックアップすることにためらいがあったのです。それが、ブロックを外して潜在意識に働きかけていくうちに、変わっていかれました。

自分って案外スゴイんですよ‼

そして、いったん自分のスゴさに気づけたら、どんどん運気もアップして、嫌なことを引き寄せなくなります。

そんな人で世の中がいっぱいになったらステキですね。

 

ご自分の良さにいつ気づくか?

早く気づいた方が楽だけれど、それもきっとタイミングですね。

 今日キラキラして帰られたクライアントさんからいただいた京都のお土産です。春夏秋冬が描かれたてぬぐいです。日本最古の綿布商の作った「町屋手拭」とのこと。あんまり素敵なので飾らせていただくことにします。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。