新しいスタートの時期、大学の入学式を迎える方も多くいらっしゃることでしょう。我が家のぼーずも本日から大学生となりました。この間家から出て半ばひとりだちしてますので、がんばっていろいろ経験してもらいたいものだと思います。今朝早くに「あいにくの雨ですが、心躍るお気持ちではないでしょうか。」と心優しいS子さんからメールを頂戴致しました。ありがたいことです。おかげ様で気持ちが明るくなりました。
「この親はほっといたら何をしでかすか・・・」と私の行動は子どもたちには不可解らしく、今日のようなめでたいはずの日にも子どもはあらかじめ注意をしてきます。「どうか突拍子もないところで写真を撮ったりしないで」という念押しをするのです。仕方なくYESと言ってしまった私です。それでも何とか仏頂面のスーツ姿を一枚は撮ることができました。
夫は夫で、入学式で休むという発想がそもそもない人なので、入学式の親子の写真というものが我が家にはあまり存在しません。数年前まではとてもさみしく思っていましたが、四柱推命の叡智と出会ってからは、夫や子の特性もわかってきましたので、私が望んだ通りでない夫や子の言動にもがっかりすることが減りました、反対に、今はこんなだけど〇年後にはこんな風になっているはずという見通しができるようにもなっています。いえ、もしかしたら「しょうがないなぁ」と思っているのは、家族のほうかもしれません(汗)
さて、入学式で挨拶された先生のおひとりが、今日の雨を「天の恵み」と表現され、あたたかい気持ちになりました。そういえば、鑑定士の試験のとき、「お天気だといいわねぇ。でも雨が降ったらそれは知恵の雨だからね」と言って下さった師の梨心先生の言葉は心に染み入りました。当日はぽかぽかのお天気でした。
「天の恵み」の言葉通り、雨の水は植物を育てますので、五行の関係では「生じる関係」と呼びます。「木火土金水(もっかどごんすい)」の順に隣り合う関係は、強めてくれる存在・扶けになる存在と考えるのです。自然の理に則った考え方であるといえます。
以下、五行の「生じる関係」です。
雨の水は樹木やお花を育てます。それを「水生木(すいしょうもく)」といいます。
木は、火を燃やす燃料となりますので「木生火(もくしょうか)」といいます。
また火は燃えると灰となり土に還ると考え「火生土(かしょうど)」といいます。
さらに土は金を内蔵しますので「土生金(どしょうきん)」といいます。
そして金が冷えると水滴がつきますので金は水源と考え「金生水(きんしょうすい)」となります。
次に尅する(やっつける)関係です。一つ飛ばした次のものは「尅する関係」となります。
木は土の養分を奪うので「木尅土(もっこくど)」といいます。
火は金を溶かしてしまうので「火尅金(かこくきん)」といいます。
土は清らかな水を濁してしまうので「土尅水(どこくすい)」といいます。
金はたとえば斧と考えます。斧は木を伐りますので「金尅木(きんこくもく)」というのです。
そして水は火を消してしまいますので「水尅火(すいこくか)」となるのです。
とはいえ、この関係は必ずしも悪い関係ではないともいえます。たとえば、土は木(鍬・くわ)によって耕されてやわらかい土となることができます。耕されない土は固くて木もお花も育ちません。ですから、「土」にとって「木」の存在は有難いものといえるのです。多すぎはダメです。土に力がなくなります。
また、雨の水は土にとっても大切です。万物を生み育てる大地といっても、カラカラに乾いた砂漠のような土からは何も生まれません。適度な雨の水が「土」に必要なのです。しかし強すぎる雨の水は土を押し流してしまいます。
反対に「丙」の太陽の「火」も「土」を温め、「木」を育てるのに大切ですが、強すぎる太陽の「火」は土を「燥土(そうど)」や「焦土(しょうど)」にしてしまい、干上がって物皆滅ぼしてしまいます。
「金」の斧は「木」を伐採してしまいますが、「木」があまりにも繁茂してしまった場合は「金」の斧で刈り取って美しい眺めにすればよいと考えます。
このように、四柱推命の考え方は、命式で出てきた五行を、その方その方の特性に合わせて美しい眺めに整えるものだと考えていただくとよいかもしれません。バランスよく整えることによって、生きやすくするいう考えに基づくのです。しかし、バランスを欠いたものが特徴があって面白いという考え方もあります。
多少生きづらさがあったとしても、その人その人の個性がこの世で活かせるならば素晴らしいものとなるのです。
五行の関係、少しはおわかりいただけたでしょうか。本日もおつきあいいただきありがとうございました。