来月の二胡の発表会に向けて、今日はリハーサルがありました。
二胡の楽譜には、西洋音楽のような楽譜のほかに、「数字譜」なるものがあり、数字が指番号をあらわしていて、この不思議な数字の羅列を見て、仲間はすらすらはじめての曲を弾いてしまいます。
実はわたし、これまで耳で聞いて感覚に頼って弾いていたので、今困っています。数字譜、読めないんです。かといって普通の楽譜を見て音楽がたちあがってくるセンスもありません。
絶対音感という上等な感覚があるわけではなく、知っている曲のメロディならなんとなく弾くことができるという中途半端な感覚を持っているがために、あまり努力せずに今まできてしまいました。
曲が難しくなってきた今、それではたちゆかずに困っています。努力を遅ればせながらしないといけないところにきています。
ご指導していただいている牧宮子先生はもともとヴァイオリンもなさっていたからでしょうか、音楽の知識と共に絶対音感をお持ちです。絶対音感があると、どんな音も音階であらわすことができるようです。調音の器械(チューナー)がなくても確かな音がわかるから、演奏の途中で音が狂ったとしてもその場でご自分の耳を頼りに音の調整ができるということもおできになるのです。
また、どんな音も音階で聞こえるということは
雨だれの音も、
汽車のポッポーという音も、
鳥のさえずりも
ドレミファソラシドで聞こえてくるわけで、とっても素敵に思えます。詩人に近い感覚です。
その感覚があまりに敏感な人だと、心落ち着かないなんてことも出てくるようです。普通の人が聞き逃してしまうキッチンの水のしたたりも、救急車のピーポーも、秋の夜長に鳴く虫の声も、全て音階で聞こえてきたらゆっくりできないこともあるのかもしれません。
さて昨日、夕方に膳場貴子さんの担当する報道番組を見ていましたら、この9月はいじめを苦に自殺をする児童生徒が最も多いということを伝えていて、心がいたみました。
昨年神奈川県の図書館の職員さんが、「学校がつらいなら図書館においで」という優しいメッセージを発信して話題になりましたね。いまそのことに異を唱えるひとは少ないと思いますが、もう何年も前に鴻上さんという劇作家が「逃げていいんだよ」ということを発信したときは、「逃げることをすすめるなんてとんでもない」とおおいにバッシングされたそうです。
何事も先駆者というのは、風当りが強いものです。それでも、鴻上さんの発した言葉で救われた多くの命がきっとあったわけで、言いだしっぺの鴻上さんは今では評価されて当たり前になっています。
う~みさんという歌手の方の歌も番組内では紹介されていました。歌詞の一節の「授業の始まりを知らせるチャイムの音がこわい」という情景に自分を重ねて聴いてくれたらと、いじめにあっている子どもたちへの応援の歌をやわらかい声で歌っているのです。
実は、う~みさん自身が、絶対音感があるということで小学校の6年間いじめにあっていたのだそうです。
最初はどんな音も再現してどんな曲も楽譜なく弾いてしまう彼女のことを「う~みこわい!」と言っていたクラスメイトたちが、そのうち「う~みきもい!」に変わっていったといいます。
自分と違う存在に対してリスペクトのあらわし方を知らないとき、それは「きもい」「変だ」「おかしい」となり、仲間はずれにして、それがいじめへと発展(退化)していく。悲しいことです。
自分より優れている存在と出会ったとき、すごいという思いの片隅に、「いいな」という気持ちを誰しもが持つでしょう。離れた人なら放っておけるけど、すぐ近くにそんな人がいた場合、妬ましく思ってそれがいじめになっていくことは大いに考えられます。
抵抗しない存在に対してもいじめは発生します。
でもいじめる側は変わらない。
あるいじめにあっている少年が、教室の窓から飛び降りようとしたとき、教室にいた20人の生徒は手を叩いて笑ったというエピソードも紹介されていました。
笑った(いじめた)側は20分の1の責任しか感じていない。みんなやってる、たいしたことはない、です。
ところが笑われた(いじめられた)側は20倍の負担を感じる。
あんまりですね。そんなところにいたら危ないよ。
だったらその場を離れる選択肢を大人は用意しなくてはいけないと思います。
まず守ろう、自分の命。大人は気づこう、大切な命の叫び。
古来いじめにあうくらい目立つ人の中から多くの偉人が生まれているのも事実です。
まぁ偉人になどならなくても、全ての子どもが、全ての人が、自分らしく、傷つくことなく生きていくことが何より大切です。
「宝」を大切にしていかねばと思います。
どんなこともいじめの対象となりうる今、早急にやらねばならないことだと思います。
うるさがれようと、大人はちょっとおせっかいになってもいいんじゃないかな。
これもやっぱり他人事(ひとごと)にしないということだと思います。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。