20歳になる息子が中学生だった時、2年生になって部活を変わりたいと担任に申し出たところ、強く反対されました。
もともと身体を動かすことが大好きな子だったのですが、同時に自然にも興味があり、「理科部」というのに入ったんですね。
学校の目の前を流れる川で釣りをして捕まえた魚を焼いて食べる、などの活動が楽しそうに思えたので入部したのだったと思います。
活動自体は楽しかったようですが、もともと身体を動かしてないと死んじゃうマグロのようなタイプだったから、だんだん身体がなまっていくのが自分でもわかったのだと思います。
幼い頃からサッカーをやっていたので、やっぱりサッカーをやりたくなったのです。
ところが担任の先生は「一度入部したものを途中でやめるのはその後の人生でも同じことを繰り返す」とかなんとかいって許してくれません。
けれども本人の意志は固く、このままでは話が通らないと思って、体育の先生に相談しました。
そして理科部の顧問の先生とも折り合いがついて無事部活をかえることができたのですが、担任は面白くなく、以後何かと意地悪をされるようになりました。
プリントの提出の仕方が悪いといっては電話がかかってきたり、私も何度か学校に呼び出されて「お母さん、生きる上で大切なことは・・・」とかお説教をされました。
ビックリしました‼
呆れるというより怖かったです。理屈の通らない相手には何か言っても激高するだけですから・・・
今なら自分の守り方も身に付けましたが、当時は「何か起こるのは自分に非がある」と思っていたので、ひたすら「どうしてこんなことを言われちゃうんだろう・・・」と思っていました。
自分の気づかない自分を知りたいと強く思うきっかけは案外こんなところにもあったのかもしれません。
そういう意味ではわざわざ悪役を買って出てくれて「ありがとう」なのかも、ですが・・・
ひとつのことをやり抜くというのは言葉は美しいかもしれませんが、「ひとつのこと」を見つけるまでは何度でも挑戦したらいいんじゃないかと思うのです。
それに、そもそも「ひとつ」に決める必要だってありませんよね。
やりたければやればいいし、人にもやらせてあげたらいいんです。
今日、日大のアメフト部の関西学院大のクオーターバックの選手に怪我を負わせた選手が会見をおこないましたね。
怪我をさせたことは明らかに間違いだけれど、謝罪の会見をおこなう、しかも実名も顔も出して・・・というのは勇気ある行動であると思います。
彼の言葉に嘘はないと誰しもが思ったのではないでしょうか。
その真摯な姿勢に比べて、学校側や監督はまだ真実を語る心構えがないようなのは残念ですね。
みんなわかっていることを「何かをまもるため」に語らないのはどこかの世界も同じですね。
でも、おかしなことは長く続かないと私は思います。
会見をおこなった学生の今後は社会で見守ってあげたいですね。
「もうやってられない!」という思いが彼を勇気づけたのだと私は思います。
想像を越える葛藤があったことでしょう。
しかし彼はやり直せます。それを応援したいです。
「これだ!」とか「ここだ!」というものに出会えるまで、何度でもやり直せばいいんです‼
それは遅すぎることはありません。
長い長い魂の年齢に比べたら、100年だってたかがしれてる時間です。
最初は「いい」と思って始めたことも、自分が成長するにつれ物足りなく感じたり、「やっぱりここじゃない」と感じることは多々あると思うんです。
そうしたら一刻もはやくやめるのがおススメですが、なかなか決断できない時は、そこに留まるメリットとデメリットをあげてみたらよいと思います。
メリットがあるなら留まればよいし、デメリットの方が多いならやめて他を探したらよいのです。
占いは決断を促すのに役立つかもしれませんね。
私自身は、だいたい直観で決めますが、裏付けにタロットカードやルーンストーンを使います。
目に見えるカタチで答えてくれるので、とてもよい相棒です。
どうぞ皆様、何よりご自分を生かして下さいね♡
誰にも遠慮なさらず、堂々と悔いのない道を選択なさって下さい。
もしも困った時は、喜んで貢献させていただきます。
そう、納得のいくまで何度でもやり直せばいいんです‼
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。