パソコンに向かってウトウトしていましたら、日付が変わってしまいました。
昨日は久しぶりに予定の入っていない一日。
たまった洗濯ものを片付けて、お風呂の掃除して・・・と朝から家事にいそしんでいたところ、急に義母がお墓参りに行きたいような素振りをするので、予定変更、お墓参りデイ。
さて、ほぼ毎日誰かが口にしているか、自分も話題にしている「健康」について今日は考えてみたいと思います。
健康とは? と聞かれたら、いったい何ておこたえになりますか?
病気でないこと、これはダメ!説明になっていません。
不具合がないこと、これも同じ理由でダメ‼
よく考えてみて下さいね。・・・どうでしょうか?
ちょっと辞書にあたってみましょうか。
新明解国語辞典によると
日常の社会的生活や積極的行動に堪え得るからだの状態。
からだの各部分にぐあいの悪い所が無く、気力の充実している状態。
広辞苑ですと
身体に悪いところがなくすこやかなこと。達者。丈夫。壮健。また病気の有無に関する、体の状態。
これで終わりにしようと思ってましたが、何だか面白くなってきたので大辞林も調べてみました。すると
①体や心がすこやかで、悪いところのないこと。また、そのさま。医学では、単に病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的・精神的・社会的に調和のとれた良い状態にあることをいう。
②異常があるかないかという点からみた、体の状態。
とあります。
うーむ。弱った!よくわからないのであります。
実はこれはよくあることなのです。
わかりきった(と思いこんでいる)言葉ほど、辞書にあたると何のこっちゃわからない・・・のです。
たとえば「ゆり」を新明解で調べると、
葉はササに似た多年草。すらりとした枝の先に、六枚の花びらが有る大形の花を開く。花弁の根元は筒のようになっていて、種類が多い。根は食用。
あらぁ・・・残念!
この説明だけ聞いて絵を描いたら、どんな形になるものやら・・・
大辞林は
ユリ科の多年草で、主としてユリ属の鱗茎植物をさす。
広辞苑だと
こんな説明もあります。
花が美しく芳香があり・・・キリスト教では純潔の象徴。
要するに知らないとイメージできない、そんなものです。(辞書つくりの大変さは棚に上げての発言です)
では、話をもとに戻して、「健康」とは?
その人がなりたい自分でいられて、いきいきと活動できること、ではないかと私は思います。
健康な人の発するエネルギーは力強いです。
そして、嘘のような話ですが、病気にしがみついている人は結構多いんです。病気であることに何らかのメリットがあるからです。
変わることへの怖れから、病気にとどまる人というのも少なからずいらっしゃいます。
そして、「心」と「体」は言うまでもなく密接に関わっていますので、「心」を変えただけで病気がなくなることもあるのです。
そして病気を招く「心」の状態とは、ズバリ「怒り」です。
夫への怒り。
母への怒り。
上司への怒り。
社会への怒り。
エトセトラ、エトセトラ・・・・・・
これ、全て「自分への怒り」につながっているのです。
ですから、その部分を掘り下げていくことが病気を寄せ付けないことになっていくのです。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。