中国の湖南民謡に「瀏陽河」というゆったりした川の流れを感じさせる曲があります。その下流域は海の趣きといいますが、この曲はちょうど中流の辺りを表現したものだそうです。二胡という楽器で奏でると時空を超えたはるかな世界に誘(いざな)われるような不思議な感覚を味わえます。
牧 宮子先生は私たち「花*花(ホアホア)」の二胡の師匠ですが、先生の存在そのものがおおらかな中国の気をまとってらっしゃるように感じられ、新しい曲に出会うごとにその背景を旅の思い出と共にお話して下さるのが二胡の教室の魅力の一つです。
牧先生によると、この「瀏陽河」の上流は青海省というチベットの地域だそうで、そこには天空の湖と呼ばれる青海湖があるのだとか。それは黄河を生み、下流域では揚子江と呼ばれる長江を生み、またベトナムに向かうとメコン川になるそうです。同じチベットからインド西部に向かうとインダス川となるのだそうで、チベットの湖沼は実に多くの文明の源となっていることがわかり感慨深いです。
この壬(みずのえ)を日干に持つ人に、「ミスター」と呼ばれて広く親しまれ、かつて球場をファンで埋め尽くした英雄的存在、長嶋茂雄がいます。1936年2月20日のお生まれですから、その三つの柱は年・月・日にちの順に丙子・庚寅・壬申となります。自分自身を表すのは「壬(みずのえ)」です。
10年ごとに巡る大運というものがあります。長嶋さんの場合、15歳から「壬辰」という強い水の運気がまわります。その強い水の運気が巡ったちょうど15歳のとき、鋭い本塁打により注目を浴びることになります。一方で強すぎる水は「財星(ざいぼし)」を尅すことになります。このときの長嶋さんにとっては「財」は「父親」でした。
四柱推命においては「官」の星は男性なら「仕事」を、女性なら「夫」と「仕事」を表します。
では「財」の星はというと、男女共に「財産」「父親」「自分の身体」を、そして男性にとっては「妻」の意味が加わります。
15歳から25歳までの10年間は自分がもともと持っている「子」「申」に「辰」が加わって、「申子辰(さるねたつ)」の三合水局という強い水が自分自身である「壬(みずのえ)」をものすごいパワーでバックアップしているのです。
ここで先月24日にご紹介した乙武氏の話を思い出して下さった方がいらっしゃるかもしれません。自分の中にある「壬」を「三合水局」が強めている現象です。しかしよく見ると大きな違いがあることにお気づきでしょうか。
乙武氏の場合は、自分自身は「戊(つちのえ)」、信用の山で堤防の役割も果たします。それが強い水の勢いで決壊してしまって不倫により世の中の信用を失いました。長嶋さんの場合は自分自身が「壬」なのですから、自分を強く生かしていけるチャンスなわけです。
1951年15歳で特大のホームランを放ったのが野球関係者に注目されスカウトされるのを父親が進学を希望したことから立教大学に進み、同期の2人と共に「立教三羽烏」と呼ばれ、20歳では春季の21歳では秋季の首位打者を獲得、さらに5シーズン連続リーグベストナイン、守備においても「普通の人の2倍くらいの守備範囲を持つ」と言われました。こうして当時最高額の契約金で巨人への入団も決まり背番号「3」の活躍が始まります。
巨人でのオープン戦でも7本のホームランを放ち、その後も次々に決めた本塁打により、その夏には川上哲治に代わる4番打者ともなりチームの優勝に貢献します。一塁ベースの踏み忘れさえなければ「トリプルスリー」の記録も達成していたそうですが、踏み忘れるご愛嬌もいかにも長嶋さんらしいですね。
こうして22歳で新人本塁打プロ野球新記録を達成し、最多安打により打点王ともなり、盗塁もリーグ2位で新人王にも選ばれます。
そして1959年6月25日の天覧試合を迎えます。昭和天皇が観戦なさる、なんとプロ野球史上初の試合において4対4で迎えた9回裏、長嶋選手はさよならホームランを放ち、巨人の勝利を天皇はご覧になったわけです。最も大切な場面できっちり仕事をしたという表現をはるかに超えた偉業をやってのけたのです。長嶋選手の勝負強さは伝説となり、この試合以降プロ野球の隆盛が始まったのだとも言われています。
しかし25歳から「巳・午・未」という「火」の運気が廻ってきます。25歳からの「癸巳」のときはまだ「癸」の「水」が支えていたものの35歳から廻る「甲午」の38歳の時、現役を引退します。1974年の「甲寅」の年です。大運と年運のダブルで廻った「甲(きのえ)」と「寅」の「木」に「水」は吸われてしまい、「午」の「火」もあり体力が消耗された結果の引退ではなかったかと命式は語ります。
翌年「乙卯」もまた「木」の力が強い年。巨人はチーム最下位になります。チームの運気を担うのは、それを率いる監督の運気そのものなのです。それでも1976年「丙辰」の年はリーグ優勝を果たします。長嶋さんの日支の「申」に年支の「子」、そしてその年の「辰」が三合して「さる・ね・たつ」の水のパワーです。
2004年脳梗塞で倒れられた時は「甲申」「丙寅」「壬午」で「火」と「水」が激しく戦う「水火激冲(すいかげきちゅう)」の現象で脳梗塞を起こされたのでした。血管の病気の暗示です。
今現在は「双禄神」と「芸禄神」がついてらっしゃいます。「芸禄神」は「華蓋(かがい)」ともいい、「芸能の星」です。また「双禄神」は2つのことに関わることを意味します。また、もともと「紅虫」または「紅艶」と呼ばれる人気の星もお持ちです。多才に彩られている感じです。が、今後のことは占わないでおきたいと思います。
「壬(みずのえ)」のパワーを思う存分発揮された長嶋茂雄さんの命式も多くのことを語りかけてくれましたね。
大河の水は十干でいうと壬(みずのえ)です。。本日は壬(みずのえ)の他の十干との関係・相性を見てまいります。
甲(きのえ):壬(みずのえ)という多すぎる水の勢いを抑えるのに、しばしば甲(きのえ)は有効です。甲(きのえ)に水を吸い取ってもらうという考えです。甲(きのえ)に力がないと、水にプカプカ浮いてしまいます。
乙(きのと):草花である乙(きのと)には大量の水である壬(みずのえ)をコントロールする程のパワーはないとみなします。
丙(ひのえ):川面や湖面である壬(みずのえ)に太陽である丙(ひのえ)が反射してキラキラ輝いている光景です。最も美しい景色で水火既済(すいかきせい)と呼びます。命式にこの両方が並んでいるとき、その持ち主は整った美しさがあると考えます。
丁(ひのと):人工の火である丁(ひのと)は大河の水が押し寄せてきたら心穏やかではいられません。この壬と丁がくっつくと情に動きやすくなります。
戊(つちのえ):堤防の役割である戊(つちのえ)は大河の流れである壬(みずのえ)をせきとめます。
己(つちのと):清らかな水である壬(みずのえ)の水を畑に土である己(つちのと)は濁らせますし、己から見ると押し寄せる壬の水によってドロドロにされてしまう関係です。己土濁壬(きどだくじん)と呼びます。
庚(かのえ):金生水(きんしょうすい)で庚(かのえ)は壬(みずのえ)の水の勢いを増す働きをします。
辛(かのと):宝石である辛(かのと)にとっては自分を洗ってピカピカに光らせてくれる有難い存在なのですが、壬(みずのえ)にとっては宝石はあまり役に立たない存在です。
壬(みずのえ):強い水の勢いである壬(みずのえ)のパワーが倍増されることになります。強すぎる水の力は全てを押し流し破壊してしまうことがあります。知力や異性をひきつける力は強いとも考えられます。
癸(みずのと):癸(みずのと)の雨の水のような性格は壬(みずのえ)がやってくると一気に壬のような勢いに変化します。壬にとってはさほどの変化はないと考えます。