幼稚園の時、仲良しのフジコちゃんがお休みと聞いて、ズル休みしてしまったときのドキドキは忘れられません。頑張る気持ちの少ない子だったのでしょうね。そんな私でも、お遊戯会でラメのついたドレスを着せてもらった時は嬉しかったです。思うに、キラキラ光るものに心が惹かれた記憶はそのときくらいなのです。
今も私が身につけているのは、つけっぱなしのネックレスのみ。宝石というものが自分に似合う気がしないからかもしれません。持っていても、つけるのを忘れてしまったりします。なまじつけると落としてなくしたりもします。そして・・・なんと金属アレルギーなのです。
こんな私とは正反対に輝くことに価値を見出すのが「辛(かのと)」の人です。
「辛(かのと)」の女性は大体においてチャーミングです。そしてキラキラ輝くものが好き。私が出会う「辛」の女性は、「光るものは好きですか?」と尋ねると、まず間違いなく、「ほら!」と言ってキラキラグッズをバッグから取り出して見せてくれます。それがまた可愛らしいです。私が男性なら買ってあげたくなってしまうかもしれないなぁと思ったりします。
男性の「辛(かのと)」の人は、自分自身が輝くための努力を惜しまない方が多いように思います。トップを目指す発想です。野球界の至宝ともいわれるイチローも「辛」の人です。
1973年10月22日生まれですので、年・月・日にちの順に、癸丑・壬戌・辛卯という三つの柱を持つ方です。自分を表現する「傷官」の中でも「金水傷官(きんすいしょうかん)」を持っていらっしゃるので、自分を上手に輝かせていけるのですが、表現はシビアだったりするかもしれません。
「辛」は繊細な宝石なので、めちゃくちゃ強いとはいえませんが、イチロー選手には自分を強める「羊刃(ようじん)」がついているため、43歳の今も現役でアメリカの地でやっていけるのではないでしょうか。とはいえ、一生を見ていくときは人生全般の命式をきちんと出さなくては表面的はことしか語れません。
今日は、「辛」代表として田中角栄氏についてみていきたいと思います。笹本龍一氏の「十干十二支気学」を参考文献にさせていただきました。考え方は私オリジナルのところがあります。
1918年5月4日生まれの田中角栄氏は年・月・日にちの順に戊午・丙辰・辛亥という3つの柱を持つ方です。
戊(つちのえ)は「土」、「午(うま)」は「火」、「丙(ひのえ)」は「火」、「辰(たつ)」は場面によって姿を巧妙に変える曲者ですが基本は「土」、「亥(い)」は「水」を表しますから、自分自身である「金」を助け強める要素がほかにないということになります。所謂「身弱(みじゃく)」の人です。
それがどうして総理大臣にまでのぼりつめることができたのか、またどうして失脚したのか、四柱推命はその謎を解き明かしてくれるのです。悲しいことに世の中に出回っている「四柱推命」の本の中には、このような命式だから世に出ることは難しいとか、活躍は期待できない、もっとひどいものですと表通りに家を建てることは一生困難だとか言いきっているものがありますが、決してそんなことはない、それを克服していくのが「四柱推命」の智慧なのではないかと思うのです。
人の運は生涯にわたって同じではありません。およそ10年ごとに変わって廻る「大運」といものがあります。これはその人その人によって異なります。さらにみんなに同じように訪れる「その年の運」が基本の命式に与える影響もしっかり考慮しないといけません。今年は誰にでも共通の「丙申(ひのえさる)」の年です。
さて「角さん」こと田中角栄氏は1974年28歳のときに国政に進出しました。4月のことです。しかし家宅捜索の末に12月には逮捕されます。それでも30歳のとき、獄中で立候補して10日間の運動しかできなかったにもかかわらず2位当選。大運に「未(ひつじ)」という「土」がまわってきていた時のことです。一瞬「子年」の「子(ね)」の「水」によりピカッと光ったものの大きな「土」の運気が勝り、宝石が「土」に埋もれてしまった現象と言えましょう。
31歳から「庚申(かのえさる)」という「金」の強い運気が巡ってきます。これに支えられるように「辛」は輝き始めます。笹本氏いわく、人生の最も働き盛りにして内面が最も輝いていた時です。
41歳からは「辛酉(かのととり)」の大運で、やはり「金」が強い運気です。
つまり31歳から51歳までの20年間が「辛」をバックアップする「金」の運気に恵まれた時であったと言えるのです。具体的には40歳で郵政大臣、44歳で大蔵大臣、そして47歳の時に自民党幹事長となるのです。
内閣総理大臣となったのは51歳からの「壬戌(みずのえいぬ)」の大運の時です。
1972年7月7日、「壬子(みずのえね)」の年、「丁未(ひのとひつじ)」の月、「己亥(つちのとい)」の日のことです。「壬」も「子」も「亥」も全て「水」を表しますから「辛」の「金」を輝かせることができました。53歳のことです。
しかし55歳の「甲寅(きのえとら)」の時、内閣は総辞職に追い込まれました。年運の「寅」、自分が持っている「午」、それに大運の「戌」が合わさって強い「火」のパワーとなって「金」を溶かしてしまったのではないかと私は考えます。「三合火局(さんごうかきょく)」といいます。
そして57歳の時にロッキード事件が発生します。社会運にある「辰」と大運の「戌」は仲が悪いのです。「辰」と「戌」が揃うと、財産による争いごと、警察関係の問題や訴訟がおこりやすいと宮田有峯先生は書かれています。
そして65歳の1983年大運も年運も「癸亥(みずのとい)」の時、判決が下ります。東京地裁から懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が下るのです。これは「癸」の雨水が「辛」の「金」を錆びつかせたということです。
翌年66歳の時に、脳梗塞(のうこうそく)で倒れて入院、言語と行動に障害が起こり、以後政治活動は不可能となります。
そして75歳「甲子(きのえね)」の大運の時に亡くなります。ご自分の持ってらした「午」と「子」が激しくにらみあった結果と思われます。「午」は旺盛な「火」、「子」は勢いのある「水」、それが戦うのですから、老いた身にはこたえます。この「水火激沖(すいかげきちゅう)」は血管の病気を暗示しているのです。そして脳梗塞はまさに、脳の血栓が詰まることが主な原因の病気です。
面倒見がよく、義理人情に厚く、地元新潟の人からは特に慕われていた角栄氏であったのに、ご自分に欠けていた「財星」に晩年固執されたことは残念でした。とかく人は自分に持っていないものには「疎い」か「こだわる」かどちらかの反応をするようです。角栄氏は前者でした。
「財星」は「世の為人の為に尽くすことで現実面を豊かにする」星なので、角栄氏が新潟のために粉骨砕身したこともそこに起因しているかもしれません。しかし晩年は異なった形で拘泥してしまったのはいかにも残念です。自分の党のことしか考えないような政治家が多い今だからこそ、スケールの大きな人間的魅力に富む角栄氏が見直されているのかもしれませんね。
さて本日のテーマ、辛(かのと)の他の十干との関係性・相性のお話です。
甲(きのえ):辛(かのと)はここでは小さな刃物、つまりカミソリと考えます。カミソリで樹木である甲(きのえ)を伐採することはできません。甲(きのえ)は勝てない相手ということになります。
乙(きのと):お花である乙(きのと)のことは簡単に切ってしまえます。「金尅木(きんこくもく)」の関係です。
丙(ひのえ):太陽である丙(ひのえ)は宝石である辛(かのと)をキラキラ輝かせてくれる存在です。
丁(ひのと):直火である丁(ひのと)は辛(かのと)を溶かしてしまいます、「火尅金(かこくきん)」の関係なのです。
戊(つちのえ):大きな山に宝石がぽつんとあっても見えません。辛(かのと)は戊(つちのえ)の「土」に埋もれてしまうのです。それを「埋金(まいきん)」と言います。
己(つちのと):「土」が温かい場合は辛(かのと)は居心地がよくて甘えてしまいます。でも光ることはできません。
庚(かのえ):強い庚(かのえ)の存在により、辛(かのと)が庚(かのえ)化してパワーアップします。繊細な印象からガラッと変わります。
壬(みずのえ):最も嬉しい相手です。「清らかに流れる川の水」壬(みずのえ)が宝石である辛(かのと)をキラキラと輝かせてくれるからです。才能発揮も意味します。
癸(みずのと):同じ水ですが、癸(みずのと)の「水」はポタポタ落ちる雨の水ですから、金属である辛(かのと)は錆びついてしまいます。嬉しくない相手といえます。
本日も長いことお付き合いいただきありがとうございました。