塩の効果

突然ですが、あなたはお塩をどんな風に利用されていますか?

味付けにお塩は欠かせませんよね。どんなによい食材を使っても、最後に塩気が足りないと味気ない、残念なお料理になってしまいます。

小学校で週に一度給食をいただくようになって、塩気の感じ方って人さまざまなんだなぁとつくづく感じています。同じ味付けでも。「ちょうどよい塩気だわ」と言う人と、「今日はちょっと濃いかな」と言う人がいるのですね。

地方によっても好みの味付けは違うのでしょうし、家庭によっても違うことでしょう。

私がもう少し塩気があってもいいかなと思う味付けを「ちょうどいい」と感じる同僚の先生が作るお料理は、だいたい薄味なのだそうで、ご家族からも「もう少ししっかり味付けして」と言われるので、食卓に調味料を置いて各自好みのお味にしていただくのだそうです。

これぞまさに「手塩にかける」の意味だと言われています。

テーブルに置く食卓塩よろしく、自分好みの人となるように育てることが「手塩にかける」だという解釈の典型的なものとしては、光源氏が幼い若紫を自分の屋敷に連れてきて、習い事などやお作法などの教養を身に付けさせて理想の女性に育て上げた(そして自分のものにしてしまった)ことがあるのではないでしょうか。

「手塩にかける」にはまた、漬物説もあります。漬物をつけるにあたり、自分の手で塩をふりかけて適度な塩加減にする、あるいは漬ける段階から世話をするということからできた言葉だというのです。

前者は「自分好みのタイプに育てる」、後者は「苦労して育てる」、とニュアンスが変わってきますが、苦労説としてとらえる方が多いでしょうか。私は「自分の好み」説が面白くて好きです。

 

さてその「塩」は、人が口にするものの中の唯一の無機物であるらしいですね。

お砂糖はどうかといえば、サトウキビなりテンサイなり植物由来です。

お醤油やお味噌は、大豆から作られますからやはり有機物。

ケチャップやソースは、トマトやら玉ねぎやらが使われていますから、やはり有機物。

野菜・お肉・お魚は、言うまでもありませんね。

それでは「塩」は生き物ではないかと言うと、案外そうともいいきれないかもしれません。この夏の体験で、「石」に意思(意志かな?)があることを学びました。石はイメージ通りあまり多くは語りませんが、強いメッセージを持っているのです。

アメジストは「自由」を、ローズクオーツは「愛」のメッセージを送ってきました。

それなら「塩」にも何かメッセージや役割があるはずです。あの完全無欠な立方体!ピラミッドの形に不思議なパワーがあるのと同じように、「塩」の立方体にも特殊なパワーがあるはずです。

そして、確かにあるのです。

既に昔の方たちはご存知でした。それは「清める」というパワーです。

 

神棚には、お榊、お水のほかに「お酒」「お米」そして「お塩」をお供えしますね。

お榊をお供えするときにも「塩」は活躍します。私の場合は、買ってきたお榊をまずお清めしてからお供えします。「祓いたまえ、清めたまえ、守りたまえ」と唱えながら塩をお榊にまくようにふりかけます。そして水で洗い流して穢れをとりはらったものを神さまにお供えするのです。

穢れとは「気(け)」「枯れ(がれ)」だといいます。枯れてぐったりした「気」を清めるのにも「塩」は有効なのです。ですから外から持ち帰る「けがれ」を玄関で落とすという意味をこめて、玄関に「盛り塩」をするのですね。

おトイレや、家の中心からみて東北に当たる「鬼門」や、南西に当たる「裏鬼門」の方位にも、やはり「塩」を置いておくのも効果があると言われています。その場の「けがれ」を取り除いてくれるのです。

お相撲で塩をまくのは、もともと相撲と神事が密接な関係にあったことからきているのでしょう。(行司さんが神主さんのような恰好をしているのも納得ですね。)取組みの前に塩をまいて場を清めているのですね。

またよくドラマなんかで、嫌な訪問者が帰ったあとにたいがい気風(きっぷ)のいい女将さんが「塩でもまいといておくれ!」なんていうのも、穢れてしまったのを清めてね、ということなのですね。

塩にはまだまだ色々な効能があるようです。

海からいただく「塩」と山からいただく「岩塩」とがあるというのも面白いことだと思います。どちらも天からのギフトなんだろうなと思うのです。

ありがたく「塩」を使っていきたいものだと思います。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。