今日、ひとりの青年とお話するチャンスがありました。「夢」を語ることが好きというその若者は、20代もまだ半ばなのに、もう既にひとりの子の父親だといいます。
1歳にもうじきなるそのお子さんが奥様のお腹に宿ったかどうかまだわからなかった頃、離れて暮らしているお母様に電話したところ(お誕生日の前日だったとか)「最近赤ちゃんを抱っこする夢をよく見るんだけど・・・」とおっしゃったというのです。
驚いたのなんのって!
なぜならちょうど彼女の「月のもの」がストップして、もしや・・・と思い始めたときだったからなのですって。
そして検査の結果、妊娠がわかったそうです。せっかく授かった命、それを大切にしたいから、と結婚も決め、若いのにパパとして一家を支えて今にいたるというわけです。
お母様がご覧になった夢の中の赤ちゃんは「男の子」、そして実際に誕生した赤ちゃんは「男の子」!
お母様のカンも見事だけれど、もともとその青年のご一家は特別な能力があるようです。わかる人には「当たり前」なことだけれども、世の中一般では「変なこと」とされていることってたくさんありますね。
たとえば「見えないはず」のものが「見えてしまう」とか、ものには全て「魂が宿っている」こととか・・・
普通のひとに見えないものが見えるというのは大変なことです。亡くなった方の「霊」が見えたりするわけですから。つまり「シックスセンス〈The sixth sense〉(第六感)」の持ち主だということです。
実はこの第六感、誰にでもそなわっている能力で、磨いていけば誰でも使える能力であるようですが、たいがいの人は気づかずに眠らせています。そしてそんな力はあるわけないと思いこんでいる場合がほとんどです。
うすうす気づいている人も結構います。
そんなことがあったらおもしろいなと思っている人もいることでしょう。
「見えてしまう」ために苦しんでいらしゃる方も大勢いらっしゃいます。
「見えてしまう」タイプの方が親類にいるというこの青年はさらっと語ります。「そういう人ってきっと何か使命があるんでしょうね!」
この夏出会った女性(きれいな方でした)が高校生の頃、就学旅行で撮影した集合写真に自分だけ「足」が写ってなかったんですって。気味が悪くて(悪がられて)あるお寺のご住職に相談したそうです。すると一本の藁(わら)を持ち歩くよう勧められたといいます。
「藁」はお守りとして彼女を加護して、持ち歩くようになってからというもの、おかしなことは無くなったそうです。この話を聞いて、「わらしべ長者」の話って本当だったのかなぁと思いました。一本の藁に力があるなんて、すごいことですね‼
おかしなことが無くなったとはいうものの授かった力が無くなるわけもなく、その美しい彼女は、今はむしろそれをきちんと使っていこうと前向きに取り組んでらっしゃいます。積極的に使って、人のお役に立ちたいと思ってらっしゃるようです。
さて、「見えてしまう」人は普通の人の何倍も繊細だったり優しかったりする場合が多いと思います。だからこそこの世に残っている「霊」に頼られたりするのでしょうね。「救ってください」って。
この世に未練を残して亡くなった魂、自分が死んだことに気づいていない魂、恨みつらみなどの暗い思いを持った魂はなかなかこの世から去ることができずにふらふらさまよっています。重たいからなかなかあの世に行けないのでしょう。
こんな魂が所謂「幽霊」となって「見えてしまう」のです。第六感の優れた人に。「どうにかしてほしい」とすがってくるわけです。でも通常はただ「見えてしまう」だけで、さまよう「霊」を導く能力までは持ちあわせてはいません。
どうするか?
「見えてしまう」ことを封印するか、さもなくば開発して導けるようにするか・・・
その昔、「エクソシスト」という映画が流行りました。「悪魔祓い」のことです。恐怖映画として「怖いもの見たさ」に映画館に足を運んだ方もいらっしゃるかもしれません。首が180度回転するシーンは有名ですね。
実際に起こり得る話だなと思います。そして実際、カトリックの神父様の中でも特別な方にだけ「悪魔祓い」の力はあるとされています。
さまよう「霊」を導くことができるようになるには覚悟が必要でしょうね。また「見える時」と「見ない時」というようにオンとオフの切り替えができるようにならないと日常の生活に差しさわります。差し障るとは「霊」が「触ってきたり」して「障り(さわり)」が起こることです。
自分の魂が抜かれて「魂消た(たまげた)」り、胆が抜かれて「腑抜け」にならないようにしないと人生がくるってしまいかねません。高い位の霊に導かれるならよいけれど、変テコなものに憑りつかれられたら大変です。「気」が弱かったり、「気」ばかり強くて「心」がいかれていると、ふっと変テコなものに魅入られてしまうようですね。
明るいものに向かっていけるといいですね。明るいところには、暗くて重たい変テコなものはやってきませんから。
「見えてしまう」力は、生まれる時に自分で引き受けたものです。忘れてしまったかもしれませんが・・・
冒頭でお伝えした青年のご一家は、きっと貴い使命をお持ちなのでしょうね。
そんな彼の夢は壮大です。明るくて世の中の役に立ちたいという夢です。ブログに書いてもいいですよ、ということなので、近々ご紹介させていただきますね。乞うご期待!
そうそうお母様のカン通りに生まれてきた赤ちゃんもまた、世の為に明るい未来を築けるようにとの願いから「輝」の文字をお名前につけたそうです。きっと日本のために、また世界のために、貢献していかれるでしょう。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。