パラレルワールドの存在

今日、仕事から帰って車を運転していたら、自分の身体から窓に向かって何かが跳びました。閉めた窓の内側にはショウリョウバッタがとまっていました。外に行きたいのだろうなぁと信号待ちの時に窓の外に出してやりました。

しばらくすると、どこかに行ったとばかり思っていたバッタくん、窓の外側にはりついていました。落っこちやしないかと、目的地に着くまでちょっとひやひやしながらの運転となりました。用事を済ませているうちにどこかに跳び去っていってました。

先日は蝶が一匹、家のなかに舞い込んだとみえてカーテンにとまっていました。本来なら青緑色の帯が美しいアオスジアゲハでした。季節外れなだけに元気がない様子、羽がきずつかないようにそっと外に出してやりました。これは戻っては来ませんでした。

職場の机の付近には、蜘蛛が住みついています。もう何ヶ月かとどまっているので同僚と共によく話しかけています。「蜘蛛の糸」の話を幼い頃に読んでもらってからというもの、蜘蛛の扱いは丁重な私です。

バッタのおかげで、どうでもよい話になってしまいました。

 

昨日会った青年の夢を今日はご紹介しようと思います。

20代半ばのその青年は、事業で成功したらやりたいことがいくつかあるのだそうです。

一つは世界一周の旅をすること。

もう一つは世界遺産をまわること。

スポーツカーへの憧れもあるそうです。

そして最も実現させたい夢が、学校を建てること

 

勉強したくてもできない子どもたちがいる貧しい国に、だそうです。

お金は自分が出す。建物の建設は、リタイアした方にお願いするのだとか。経験や実績があってそして時間もある方に頼む案は我ながら「よし!」と思っているそうで、まさに頭の中に青写真ができているようです。

肝心の「教える人」は、教職を志望している友人を呼び寄せることを考えていて、その彼もOKしてくれているのですって。

真剣に夢を語ると、案外賛同者が多いことにびっくりするそうです。

 

夢を語る、すると、その瞬間からもう動き出しているといいます。

村上春樹の「1Q84」には、この世と並行して存在しているパラレルワールドが描かれていますが、実際にあるのだそうですね、そんな世界が。私はまだ経験したことがないけれど、「こうする!」と語った瞬間からちょっとずつパラレルワールドの方は変わりはじめているとも言われています。

まさか。そんなことがあるわけが・・・「ない」と言えるでしょうか。

「見えない」は「ない」ではありません。だったら「ある」かもしれません。

その理屈でいうと、できるわけない、と思っていたらできるわけがありません。

そうして、言葉に出してみたり、やってみたりすると、案外結果はついてくるものです。

 

もし自分の夢が本当に実現させたいものならば、なるべく具体的にイメージしてみて下さい。

そしてできたことを想像して「大きな存在」に感謝してしまう。

「大きな存在」の力は測り知れません。ありがたいことに、人間の幸せを見守っていてくれています。

わたしたちの夢が明るい方向に向かうものならば、どうして「大きな存在」がそれに味方しないことがありましょうか。

夢を持つ。具体的にイメージする。さらにおすすめなのは、言葉に出すことです。ですから、願いごとを紙に書き出すというのは有効なのでしょうね。

日本では「言霊」と言って、言葉には魂が宿ると言われてきました。魂があるとは、命があるということです。命があれば動きます。よい導きがあれば、よい結果をもたらすこと間違いなしです。

新約聖書「ヨハネによる福音書」の冒頭には「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によって成った。言葉の内に命があった。命は人間を照らすものであった。」とあります。

 

いくら「大きな存在」が手をさしのべて下さっても、こちらがその手の存在に気が付かなければ光は届きにくい状態です。いえ正確に言うなら、光は届いているけれども、自分で閉ざしてしまっているという残念なことをしているとでもいいますか・・・

もう、ひとりで頑張るのはやめにして、「大きな存在」に援助していただいちゃいましょう。

あなたの夢は何でしょうか。

具体的に思い描いて、それを言葉に出してみてください。

その瞬間から、もう動き初めていますよ、もうひとつの世界のパラレルワールドでは。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。