天国の食卓

幸せな光景を思い浮かべていただくとき、家族や親しい友人、もしくは気の合う仲間や恋人と共に過ごす姿を心に描く方が多いように感じます。

さらに、具体的に何をしているか、と想像していただくと、仲良く食卓を囲んでいるところを思い浮かべる方もたくさんいらっしゃるようです。

 

さて、皆さまは「天国の食卓」のお話をご存知でしょうか?

 

不思議なことに、「天国の食卓」と「地獄の食卓」は同じものだといいます。

ご馳走が乗った大きなまあるいテーブルを、たくさんの人が囲っている光景です。それは同じ。

 

では、何が違うのか?

 

答えは、テーブルを囲む人の心なのだそうです。

 

はて、どんなことなのか?

 

テーブルにご馳走と共に用意されているのは、長ーいお箸なりスプーンやフォークだといいます。

 

地獄に住む人たちは、長い箸なりスプーンやフォークを使いこなすことができないため、目の前のご馳走を口に運ぶことができずにいます。長すぎると文句を言う人、泣きわめく人、怒りだして食器を投げつける人も出てきて、やがて食卓は阿鼻叫喚の様相となってきます。まさに「地獄」の光景です‼

 

それでは、天国の住人たちはどうやってテーブルに並ぶご馳走を食べることができるのでしょう?

 

そうです‼ 長い箸なりスプーンやフォークで、テーブルの向こう側にいる人に食べさせてあげるのですって!

そして自分は、また別の人の長い箸なりスプーンやフォークで、ご馳走を口に運んでもらうのですって!

その光景は、いかにも優雅で、いかにも落ち着いていて、気品すら感じられますね。

 

もとは同じテーブルなのに、それを囲む人の心によって、全く異なるものとなってしまう。

 

いろんな言葉で、その違いを表現することができると思います。

ガツガツ と ゆったり

余裕がない と 余裕がある

利己主義 と 相手尊重

憎しみ と 喜び

争い と 平和  などなど

 

地獄の人々はいわば「負のスパイラル」にどんどん陥るのに対して、天国は互いに相手の身に立つことができてそこには「よい気」が満ちていそうです。

 

いま、世界はかつてない程の「自分ファースト」になりつつあります。

それが招くものは・・・?

 

ごくごく当たり前のことですが、相手の身になるということをもっとやっていかないと、そこには滅びに向かう道しか残されないように感じます。

そうなる前にやることは?答えは、みんなわかっています。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。