天知る地知る己(おのれ)知る

自分を育ててくれた「言葉」の一つが「天知る地知る己知る」です。

昨年世を去ったお花の先生がよく私に語って聞かせて下さった言葉です。

誰が見ていなくても、天が見て知っている、地も見ているよ、そして何よりこの自分自身が全てを知っているではないか、だから安心して自分のつとめを果たしなさい、という応援メッセージだと理解しています。

このお花の先生、小泉晁泉(ちょうせん)先生との出会いはとてもユニークなものですし、この先生なくして今の自分はないともいえる存在ですので、このお話はいずれまたゆっくりさせていただきます。

 

今日は、自分にとっては大きな仕事がひとつ片付いたところなので、ご褒美に仕事帰りにDVDを借りてみました。いま話題の映画「64」の作者の別の作品「臨場」という映画です。

内野聖陽演じる主人公倉石義男は、警視庁刑事部鑑識課の検視官です。検視官とは、事件(や事故)によって亡くなった遺体から、死亡推定時刻やその他もろもろの情報をキャッチする仕事です。倉石が心がけているのは遺体となった方の「最期の声を拾う」ことです。

DVDの人物紹介には「鑑識畑ひと筋。歯に衣着せぬ言葉で上司にも平気で盾を突き、組織には馴染まぬ性格だが、死体の目利きにかけては他の追随を許さない敏腕検視官。趣味はガーデニングと家庭菜園。かつて無差別殺人により妻を亡くし、その最期の『声』を拾えなかった悔恨が、検視官を志すきっかけとなった。検視を行う時はまず最初に被害者に手を合わせ、哀悼の念を捧げることをとても大事にしている」とあります。

「臨場(りんじょう)」とは、どうやら亡くなった方の遺体に検視というかたちで立ち会うことのようです。柄本佑演じる通り魔殺人犯が、何人もの人を刃物できりつけて死に追いやったというのに、「刑法39条」によって罪に問われないことつまり「心神喪失者を責任能力がないとして処罰せず、また心神耗弱者の刑を軽減する」という被害者にとっての不条理が根幹となったものです。

この刑法により守られるのは殺人を犯した側。被害者遺族は大切な家族の命を奪われただけでなく、罪に問われない犯人へのどうしようもない怒り・恨みを昇華できずにそのあとの人生を生きる苦しみと向き合わねばならないのです。

そして、この39条を使って無罪を勝ち取った輩(やから)を裁いてしまおうという力も働いて、話は思わぬ展開を見せていきます。実際に「心神喪失」や「心神耗弱」を装うというとんでもないことが起こっているのも現実にあるのでしょう。

裁判で勝つことで自分に利益をもたらす、そのために遺族の無念はお構いなしで事実を偽装する精神科医師や弁護士には「天知る 地知る 己知る」という言葉は存在しないのでしょうか。そして犯人もそれで守られて心に痛みを感じないものなのでしょうか。

事件の犯人だけではありません。自分をまもる為に穢いことをやっている人というのがこの世にはたくさんいるようです。人を「守る」ための法律が、かえって苦しめるものとなっている例はいくつもありますね。

人を救うための弁護士という本来貴いはずの仕事が、最も守らねばならない立場の人を苦しめているという事実があります。

本来「仁術」と言われた医師が権力や金儲けに心が奪われて、「仁」とはかけ離れている実態ということもあるようです。

警察に助けを求めているのに保留にしたがために危険にさらされている命があります。

教師だってどうでしょう。偏差値という言葉にイカレテはいないでしょうか。

宗教の名を借りて弱い者から資産を奪うまがいものの法人。

そして、国民を煙にまこうとする政治屋さん。ここ連日、舛添さんのお金の使いみちが世の中を賑わしていますが、めくらましだという人がいます。もっと大きな何かを隠すためのスケープゴートが、今回の舛添さんの一連の報道なのではないかというのです。

この鑑定という仕事にも偽物はいくらでもあります。だからこそ宮田有峯先生が試験を導入されたのです。

問題は、「まこと」に生きなくてよいのかということです。お金になるなら、組織のためなら、自分の体面を保つためなら、「天」も「地」も「己」も欺いてよいのかということです。答えはみんなわかっています。

「臨場」の映画で心神喪失を演じた犯人には「天」や「地」や「己」の声を感じる力が欠如していたのかもしれません。「己」を見失うという意味では確かに心神喪失なのかもしれないですね。しかし、責任能力は?

さて、この作品の原作者横山秀夫氏と、主人公役の内野聖陽の四柱推命における「日干」はふたりとも「己丑」(つちのと・うし)で一致しています。なかなか興味深いことです。

己丑(つちのとうし)は、「湿り気を帯びた田園」を意味し、発散されていない力に満ちています。内側に協力な力を蓄えているということですから、忍耐強い人、意志の力の強い人、ともすれば頑固な人ともなります。外側には穏やかな姿を見せますが、内面には力があふれ出ようとしていますから、感情の波は激しいといえます。我が強いので独断専行する面もあります。協調することを身に着けることで大きな仕事をしていく人なのです。

また、内野聖陽演じる主人公倉下を、尊敬して目指す検視官心得という役を演じているの松下由樹は、魁ごう〈激剛〉の人です。「魁ごう〈激剛〉」の人シリーズ第2弾は近々取り上げる予定ですのでお見逃しなきようにお願い致します。

さらに、娘を突然の事件で亡くして悲しみ苦しみ悶える母親役を演じていたのが、若村麻由美です。この方が女優として見出されたのがNHKの朝ドラ「はっさい先生」でしたが、その存在を見出したのが冒頭でご紹介した小泉晁泉先生のご家族です。若村さんからお礼に届いたお菓子を、お花のお稽古にうかがったときに頂戴したので覚えています。

小泉晁泉先生からは、山ほどのことを教えていただきました。その中の一つで私の支えとなっている「天知る地知る己知る」をますます大切にしていこうと思う今日この頃です。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。