子育ては見守ること…かな

「俺はザッカ―バーグだー!」そのように自称する青年がいます。その青年のママ友と自由な発想のパパ友(?)と今日、面白子育て話で盛り上がりました。その青年がまだ幼かった頃、お出かけにいつも持ち歩いていたのが「延長コード」だったそうです。ほかの子どもがおもちゃ屋さんに喜んで行くときに、その子は電気屋さんに行きたがる変わった子でした。

普通の子が喜ぶ玩具を買ってあげても、それで遊ぶ姿を見せることはなく、いつの間にか玩具本体がどこへやら。あるとき鍵のかかった彼の机をこじあけたところ、そこには、これまで買ってあげた玩具が全て分解された形で入っていたのだそうです。買ってもらったそばから、遊ぶことなく分解していたということになります。

「どうもこの子は普通じゃない!どうやったらこの子と話が通じるだろう?」そう考えたママ友のHさんは、共通の趣味を始めようと思いついたそうです。そして始めたのが空手。共に空手で汗を流すようになってから会話が成り立つようになったといいます。

その後もその子の「好き」は貫かれ、中学でWebサイト開発の受託ビジネスを手掛け、高校ではベンチャーの立ち上げにも参加する程になったそうです。「好き」をずっと貫けるくらい彼は電気通信システムに惹かれ続けてきた、そうして「俺はザッカ―バーグだー!」という今につながるわけですが、同じ母業に携わる者として、ちょっと変わった子を育てるっていやはや大変だったろうなと思うわけです。Hさんだからこそ、その子を見守り、才能を育むことができたのだろうと思うのです。

よく子どもは親を選んで生まれてくるといいます。そうなんだろうなと思います。我が家にも一筋縄でいかない子が複数いるのですが、「お尻をたたく親だったらやっていけないだろうな、この子たちは!」と思います。

我が家の娘のひとりは高校の3年間、いっさい成績表を見せませんでした。見せたくないものは見ない方が精神衛生によいだろうと、私たち親も無理に見ませんでした。その娘が2歳のときのこと。スーパーに買い物に行ってダダをこねて売り場を離れようとしなかった時は、うちのめされました。ダダをこねる子どもは親が悪いのだとその時の私はまだ思っていたからです。そのまま置いていこうとして、よそのおばあちゃんに注意されました。「おかあさん、こういう子ほどね、親孝行するものよ」…そう言われてしぶしぶ連れて帰りました。子どもを捨てる親にならずに済んだのです。

その後も「大変エピソード」は山ほどありますが、その度に頭を抱え、涙も流し、私はずいぶん鍛えられました。本人の意向を尊重する親に今はなっています。

子育ては色々学ばせてくれます。自分の価値観も理想もガラガラ音を立てて崩れさることがままあります。こうあるべきなんて、どんどん打ち砕かれます。でも、自分だけでは思いもよらないことが起こるという意味では、ワクワクすることかもしれません。

夢物語かもしれませんが、私の理想は、子どもは産める人が担当して、夜泣きの間の抱っこが得意な人はそれを担当し、働く親の代わりに面倒をみる親というのもいて、遊ぶ担当の親もいて、世の中の仕組みを教える親、言葉を教える親、マナーを教える親などなど得意分野を手分けして教える。お金のある人は教育資金担当なんていうのもいいですね。つまり社会全体でみんなの親になるシステムです。

「見守る」という、言葉でいうのは簡単だけど結構しんどい作業を、みんなで担当できたらなぁ。そうしたらいろいろな問題の解決にも近づけるのではないかしら?

みんなの子の成長をみんなで見守り、みんなで喜ぶことができたらいいですね。