今月から子ども達がお世話になった小学校でもお仕事させていただくことになりました。息子の高校で一緒に委員の仕事をした仲間たちから「おめでとう!」と祝福の言葉をいただき、もともと小学校の先生になりたかったことを思い出しました。
子どもたちと接するのも、高校で生徒に相対するのも、鑑定にみえる方と接するのも、どれも宝さがしをさせていただいているように思います。
子どもたちは小さければ小さい程、無限の可能性に満ちています。とはいえ、現実にはあまり元気でない子もいますし、自分のよさに気づかないでちぢこまっている子もいたりします。そんな子たちに「ほら!」と自分の魅力に気づいてもらえたらこんなに嬉しいことはありません。
高校生も同じです。偏差値で区切られて優越意識を持って、鼻もちならない子になるのは大概は地位やお金など目に見えるものだけに価値を置くご家庭の子です。勉強だけできても残念です。このタイプの子は私などには近寄ってこないから、実際に接したことはまずありません。
世の中で言われているより現実は「いい子」は多いです。人のためになりたいと本気で考えている生徒は結構いるものです。
面白いのは、これまであまりお勉強などしてこなかったタイプの子です。自分でも自分の優れたところなどわかってない、むしろ自分は何にもできないと思いこんでいる、こういう子がいったん自分の秘めたちからに気づいたとき、その場にいられたことを幸せに思ってしまう程それは感動的です。
ちからのない人なんていないんです。
もしそう信じていたとしたら、それは方向性が間違っている場合が多いです。
方向性はあっているけど芽がでない場合は、微調整することで大きな花を咲かせることもできたりします。
同じ「走る」のが得意だとしても短距離でチカラを発揮する人、長距離が得意な人で指導や助言が変わってきますね。
「食」にセンスのある人でも、飾り包丁など入れてもてなす和食に向いているのか、大きな鉄の鍋を使いこなせる中華で腕をふるうのか、はたまたフレンチなのかイタリアンなのかで違ってくるかもしれません。最近は創作料理というアイディア豊富な人が携わる分野も開拓できる方面なのかな。
球技が好きと言っても、バスケットボールとバレーボール。野球とサッカーなどそれぞれ向き不向きがありますね。
日本の短いポエムともいえる世界も、俳句に向いている人、短歌(和歌)に向いている人、異なります。たまに両方できる正岡子規みたいな人もいるけれど、ごくごく稀れです。
生徒を導くお仕事も、鑑定のお仕事も、その微妙なところの見定めがどれくらいできるか、というのが腕のみせどころではないかなと思います。
それが見つかったとき、本人が納得して自信を持ってそこに向かっていく決意をする瞬間に居合わせられたら、それは神さまからの大きな大きなご褒美だと思います。
そしてそれこそが「宝さがし」だと信じています。
一緒に、あなたの宝ものをさがしてみませんか。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。