希望の星

昨日は池袋の芸術劇場コンサートホールにおいて「第九」の演奏会がありました。日本では大晦日に演奏されることの多い、「ベートーヴェンの交響曲第九番(ニ短調 作品125)『合唱付き』」です。

お世話になったご夫婦のうち奥様が歌われるのでお招きを受けたのでしたが、会場を埋め尽くす程の観客の数に驚きました。春の終わりの「第九」にこれだけの観客を動員する熱量と共に、日本における「第九」の浸透力・人気に改めて気がついた感じでした。

 

ピアノを習い始めて間もなく出会った曲に「喜びの歌」というのがありました。第九の合唱の最も有名なメロディ部分を簡単にしたものです。以来、🎵ミミファソ ソファミレ ドドレミ ミ―レレ🎵は身近なものとして感じてきました。

誰でも知っている「合唱」部分はベートヴェンの「人類の自由への願い」が現れていて圧倒的な迫力がありますね。昨日も、合唱の方だけでも200人を超えるメンバーで、ベートーヴェンの思いが熱く伝わってきました。

そして、あれだけの大舞台で、しかも大人数での合唱は、練習場所の確保などご苦労も多いそうですが、本番での達成感は何にも代えがたいものがあるのだろうなと思います。

 

個人的には、私は「第3楽章」が好きです。目の不自由さを抱えながら書き上げたこの曲全体に、強いパワーを感じますが、「第3楽章」の崇高なメロディは、思わず祈りを捧げたく思う程です。しかし、「友よ!」とそこにとどまらずにさらに力強い「第4楽章」に進んでいくのです。

今回「第九」と何回目あるいは何十回目かの出会いをして、この曲にはつくづくベートーヴェンの祈りが込められていることを感じたのでした。

幼い頃、才能を見込んだための父の苛烈なスパルタ教育を受け、愛する母を10代半ばで失ったショックでアルコール依存症にまでなったと言われるベートーヴェン。

20代後半には難聴になり、40歳頃には全く聴こえなくなってしまう・・・

その中で、傑作を数々生みだして、この「祈り」に似た曲は没後200年近く経つのに全く色褪せないどころか、今という時代だからこそ、いよいよ必要なメッセージをもって迫ってくるように思われるのです。

「この星空の彼方に創造主の存在を感じて、全ての人は兄弟になるのだ、わけ隔てていたものを一つに!」という祈りです。

世界が分断しそうな危機を迎えている今こそ、ベートーヴェンの魂からの「祈り」に耳を傾ける価値があるように感じた春の終わりでした。

 

演奏後、お世話になったご夫婦に誘われてお食事を共にする中で、間もなく78歳になられる奥様が

「この間ね、パパにね、「パパは私の希望の星です」って言ったのよ。

そしたらパパはね、「ママは私の宝だよ」って言ってくれたの‼」

 

なんてステキな言葉のやりとりなのでしょう。

さらにおふたりには毎朝の「祈り」の時間があるとのこと。これまで出会って別れた方を思う時でもあるので、その祈りの時間は15分はかかるそうです。その中には私の母も含まれているとのこと。有難い話です。

 

愛は、やっぱり何にもまさるなぁと感じて、近いうちの再会を期してお別れしたのでした。

 

「第九」に新たなご縁と深い意味を感じた日曜日でした。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。