最も好きなクラシック音楽のひとつにベルリオーズの「幻想交響曲」があります。
今日はパルテノン多摩の大ホールにて、その大好きな曲を聴く機会がありました。
友人のお嬢さんが所属しているオーケストラ、ゴルトベルク フィルハーモニカーという上智大学のOB・OGが主体となっているもので、2011年から活動して今年で第7回めの演奏会なのだそうです。
金山隆夫氏の指揮も演奏も、思い描いていた世界が立体的に浮かび上がり、みごとでした。
さて、ベルリオーズという人は実に起伏に富んだ人生を送った人です。
医学を志しながら文学を愛したベルリオーズの溢れ出る豊かな感受性と想像力、そしてほとばしる情熱と恋の思いがこの「幻想交響曲」を作らせたのです。
ドラマチックなこの曲は、演奏される際には必ずベルリオーズの書いた「筋書き」が観客に配布されなければならないとされている点もユニークで型破りです。
彼の人生そのものが、栄光と挫折、大成功と破産、人気と批判・・・という劇的なものです。
片想いが原動力でできたこの曲も、ドラマそのもの。
本日のプログラムによると、「管楽器は従来の倍の人数が必要で、ティンパニは2セット、ハープや鐘も用いる」とあります。常識を超えた、突拍子もないものだったといえます。また「同じ旋律を各楽章に登場させることで物語性を演出」させる工夫がありました。
筋書きはあまりに長いので、各楽章の名称と、冒頭の文だけご紹介します。
第1楽章 夢・情熱
第2楽章 舞踏会
第3楽章 野の情景
第4楽章 断頭台への行進
第5楽章 サバト(魔女たちの宴)の夜の夢
病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死にいたらしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現れる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞こえてくる。
フランスのロマン派と呼ばれる音楽だけに、情景や色彩が感じられるような演奏がこの楽曲には似合っているように思われます。そして今日の演奏は、そんな音楽にふさわしいものでした。(写真はちょうど帰りぎわに点灯された多摩センターのイルミネーションです)
さてこの曲の「幻想」は実は現実を引き寄せたことでも有名です。
ベルリオーズは自分の本当の気持ちをこの曲で表現したことで、片想いの彼女との結婚が叶うのです。
「夢」を「うつつ(現実)」にした曲、魂をこめて「夢」を引き寄せた曲だったのですね。
今日たまたま娘のひとりから借りて読んでいた本「運に愛される人」(中島 薫著)には、「妄想と想像の違い」について書かれた箇所がありました。
妄想は、自分とほとんど接点のないことを、夢物語のように思い描くこと、そして思い描くだけで満足して、それを現実にするために何も行動を起こさないことです。脳の中だけで完結しています。
一方、想像とは、自分の周りで起きていることの一歩先の「こうだったらすごくいいな」と思うことをイメージすることです。それだけではなく、そのイメージしたことを現実にするための行動がセットになっています。イメージできるということは現実化するということなので、現実化のための作戦が求められるのです。
想像を引き寄せる作戦とは?
私もこれまで何度か触れてきたことです。
とっても簡単なその方法とは!?
この続きはまた次回。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。