まだかまだかと開花が待たれた桜が、ようやくここ、東京郊外のあちらこちらで咲きほころび始めました。
古来、桜には人の心を惑わせる魔力があるように思います。
有名な紀貫之の「しづこころなく花の散るらむ」は、桜の花びらが舞うと心が穏やかでいられなくなる、という意味ですし、在原業平は「いっそ桜などなければ春の心はのどかなのになぁ」と詠んでいる程です。
それくらい桜の花は、舞い散ることで人の心をざわつかせてきました。
いえ、舞い散る前、もっと言えば咲く前から「いつ咲くのか」とニュースにまでなる程、桜の開花は国民的関心事項なのですね、私たち日本人にとっては。
そして新入生をお持ちのご家庭では「入学式までもつかなぁ」とやきもきさせられるのが、桜の花なんですね。
大学のときの友人が、北海道は釧路にお引越しが決まったとのことですが、北海道ともなると桜はもう少し先になるようです。入学式に桜、というのは実は中央の発想のようです。その土地その土地の事情を考慮しないで、中央の事情ばかり押し付けるのは驕りだと思います。
昨日、「桜の花の染め物は、花びらでなく、幹から出たものだ」という染色家の志村ふくみさんの言葉を伝えた大岡信(おおおかまこと)さんが亡くなりました。朝日新聞の「折々の歌」で毎日小さなコラムに「歌」を紹介し続けたことでも名高いですが、しっかり物を見る方をまたひとり失ったことはさみしい限りです。
花と言えば「桜」というのは、実は平安以降のことで、奈良時代の万葉集の一番人気の花はなんと「萩(はぎ)」だったんですよ。秋の七草のひとつともなっている「萩」は、白くて小さな花を咲かせる風情ある植物です。では春の花は?というと、香りが優れた「梅」が愛されていました。
さて桜に魔力があると思うのは、夜にライトアップされた桜が昼の姿と全く違う艶やかさを持っていることにも関係があると思います。
昼は優しくたおやかに、そして夜は艶やかにしっとりと・・・
人の心を惑わせる怪しい魅力を、やっぱり桜は持っているように感じるのです。
そして、樹木には確かに「木の精」が宿っているようですよ。
お時間のある時に、ぜひ樹木に耳をあててみて下さい。生きている証をきっと耳にすることができますよ。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。