54年ぶりの「11月の雪」は、翌日の晴天のおかげで、そこまでひどいことにはならずにおさまりましたね。でも電車に遅れが出たりして、生活する者にとってはちょっと迷惑ではありました。皆さまはお元気でお過ごしでしたか?
さて、今日7時間目の授業に教室に行きますと、何と教卓の上にちょこんと二つの白い物が乗っています。
それがこれです。
「おにぎり」と「大福」です。
生徒たちは何だかいたずらが見つかった子どものように、にこにこにやにやしています。
「???」
「えーっと、調理実習で作ったから先生どうぞ!」
「わぁ、ありがと♡」
何だか「お供え」みたいだなと思いました。そうすると私は「仏さま」になっちゃうから、そんなもったいないことは口にしませんでした。
その代わり「調理実習は何をこしらえたの?」と尋ねると「ぶりの照り焼きに豆腐のすまし汁。それからほうれん草の胡麻よごしに白いご飯」だそうで、最近の義母と私の二人の食卓みたいです。
大学受験を控えて、模試やらなにやらで最近疲れ気味の高校3年生たちですので、今日はちょっと息抜きに漱石が人生最後に書いた手紙でも紹介しようと、私はプリントを用意していました。
その手紙の中の俳句がこれ。
「饅頭に礼拝(らいはい)すれば晴れて秋」
「饅頭は食ったと雁に言伝(ことづて)よ」
まんじゅうの俳句を紹介しようと思ったら、机に大福が・・・
面白いこともあるものです。そしてちょっぴり嬉しかったのも事実です。
さて、漱石はこの二つの俳句を誰に送ったかというと、神戸の雲水(修行中の禅宗のお坊さん)宛てなのです。
気難しいところのあった漱石ですが、ふたりの雲水のおおらかなところが気に入って、東京に出てきたときに色々と世話を焼いているんですね。ふたりはその感謝の気持ちとして饅頭を漱石に渡した、特別に高価とはいえない饅頭だけれど漱石はとても喜んで、俳句を手紙に書いて送ったというわけです。
実は漱石はその手紙の中で「私は五十になってはじめて道に志すことに気のついた愚者です」なんてことも言ってます。11月15日のことです。
亡くなったのが、それからひと月も経たない12月9日ですから、この俳句は漱石最後のもの、そして手紙自体最後の手紙となりました。
亡くなったとき、ふたりの雲水は俗世間から閉ざされた環境で修行の真っ最中。一切の情報が絶たれていたそうです。その修行が明けて必要なものを買うために神戸に出て新聞を見て、漱石の訃報に触れたそうです。ショックのあまり、街をうろつき回ったと伝えられています。
文豪として名を馳せた漱石ですが、若い雲水に真率な自分の気持ちを打ち明けるところに、私は共感します。
必ずしも「よき夫」でも「よき父」でもなかった漱石ですが、常に自分の気持ちに正直に生きた人であったと思います。
49歳でこの世を去った漱石。つくづく人生は「長さ」が大切なのではないなと思います。その人その人、自分の持ち味を発揮して生きることができたら、それで「よし!」なのではないかなと思うのです。
さて、生徒からもらった何も具の入っていない「おにぎり」は、ちょうど今日いただいた大好物の塩昆布と共に夕飯のときにいただきました。
そして大福は、夕食後に、半分に切って甘い物に目のない連れ合いにあげました。半分に切ったおかげでこんな美しい姿を見ることができました。
そうです、苺大福だったんです‼
生徒たち、びっくりさせようと何にもいわないで、にこにこにやにや笑っていたんですね。
お味は・・・ご想像におまかせします。
最近義母のことで毎日あたふたしている私に、思いがけないプレゼントでした。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。
明日もよい日になりますように♡