時を隔てた仲

今日は、最初にお勤めした学校の方たちとお会いしてきました。

美術の先生で、学校での指導のほか自宅でも、絵を志す子どもたちをひきとるようなかたちで指導を続けてこられて、ご自身も長きにわたり芸儒家としても第一線で活躍されている方がいらっしゃいます。その先生の展覧会が上野であるというので、昔の同僚というか先輩の先生だちがあちらこちらから集まってきたのです。

右も左もわからない。まさに「ひよっこ」だった当時に出会った方たちに「全然変わらないねぇ」と言われるのは嬉しいような成長してないような・・・ですが、懐かしさがこみあげてきて、またお会いできていることに慶びを感じました。

時を隔てても変わらぬものというのが確かに存在するのだなということを実感しました。

 

大学を卒業して社会人として最初に出会った職場の方たち。

その後、女子高校だったその学校も共学校となり、今や進学校として多くの有為な若者を世の中に輩出して、それは本当にスゴイことだけれど、昔から学校に携わってこられた方たちのあたたかさは一味違うことを感じます。

結果を出すことは、企業でも学校でも、組織として動く場合は大切なことだけれど、結果にフォーカスし過ぎると「自分が、自分が」というエゴが出てきて「心」が置いてきぼりになりがちです。

 

その塩梅(あんばい)が難しいところです。

 

世の中のニーズを察知してそれに反応しつつも、自分の軸はしっかりと持つ。

軸をしっかり持つことでブレずに、しかしカタチは柔軟に対処していけるようになるのかなと思います。

 

勤めてたった2年でその学校を去って、地方の公立学校に移っていったMさんもいらしてました。

お別れしてかれこれ30年の歳月が経ちます。ステキな奥様も一緒でした。

公立校の試験を受験したい旨を校長先生に相談したところ、「ほかの人には言わなくていいよ。もしダメだった場合はここにいていいんだからね」と言われたそうです。

「有難かったです。今でも感謝しています」と正直に真っ直ぐにしか生きられないその人はしみじみと語っていました。

その後、その校長先生の発展ぶりはものスゴイことになっていき、80を超えた今もまだ新しい構想を描き、軌道に乗せるまでは・・・とおっしゃっているそうですが、「人を大切にする」発想が根本にあったんだなぁという思いを新たにしました。

 

これから人工知能がもっと広まる世の中になることは確実ですが、人を大切にすることが、企業でも学校でも欠かせないことなのだろうとつくづく感じたのでした。

 

この集まりの前には、「メタトロン」経験をしました。

音波を使って身体の状態をチェックして、バランス調整もしてくれる機器が「メタトロン」ですが、これも機器が出してきたデータを専門の方が読みとってくれて初めて「生きた知恵」となって伝わります。

 

人工知能が広まろうと、優れた機械(器械)が出てこようと、人が育っていなければ使いこなせない。

だとしたら、やはり教育は何より優先することなのかなと実感するのです。

 

懐かしい方たちと数年ぶりだったり数十年ぶりにお会いして、人の温もりを感じた春の夜でした。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。