「楽観主義者と悲観主義者はともに社会に貢献している。楽観主義者は飛行機を発明し、悲観主義者は〇〇〇〇〇を作った」劇作家のバーナード・ショーがこのように言ったと、今日の毎日新聞の余録にあります。さあ、〇の中に入る言葉は何でしょう?
楽観主義者はひたすら「飛ぶ」ことを信じ、悲観主義者は「落ちる」ことを想定すると言ったらおわかりでしょう。答えは最後にお教え致しますね。お楽しみに。
またこんな言葉もありますね。「楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者は穴を見る」です。「幸福な王子」や「ドリアン・グレイの肖像」を書いたオスカー・ワイルドの言葉です。
それでは本題です。あなたは楽観派?それとも悲観派?
私は、圧倒的に前者です。そのために何度失敗していることか!懲りないタイプです。行ったことのない土地なのに根拠のない自信を持ってまずは駅に降り立ってしまう。見渡して「あれ?またやってしまった!」と反省します。わかっていると思っていたのに、景色に見覚えがない・・・焦ります。わかりそうな人に尋ねて、目的地に到着!毎回反省するものの、結果的に何とかなってしまうからまた同じ繰り返しをしてしまうのでしょうね。トホホ・・・
娘3人を連れて愛・地球博に行ったときのことです。私と行動するとろくなことが起こらないと、夫と息子は留守番をきめこみ、危険察知能力より好奇心の方が強かった娘たちだけがついてきた旅でした。往復夜行バスで0泊2日というのも男子に不評だった原因のひとつでした。
行きはよかった。会場でも楽しかった。問題は帰りです。帰りのバスがいる場所がわからないのです。現地到着後、「帰りもこちらにお集まりください」と言われた言葉は覚えていたものの、肝腎な「こちら」を覚えてないのですね。ギリギリまで楽しんだので出発の時間は迫ってきます。そのとき私はなんと、名古屋駅西口のバスがいる場所をたまたま通りかかったアフリカ系外国人に聞いたんですね。彼は自信たっぷりに「それはあっちです!」と指をさして教えてくれました。
し・か・し。それは正反対の方角でした。あとから知ったことですが、アフリカの多くの土地には「知らないと言ってはいけない」という文化があるのだとか。知らなくても確信を持って「知ってるもんね」というのが美しいあり方なのだとか。
結局、東京にいる夫に連絡を取り、バス会社に問い合わせてもらってバスの発車時間を少し待ってもらい、無事に帰京を果たせました。そしてこの日以来、私の信用はガタ落ち。私と行動したいという人は家族の中にはいなくなりました。
でもへっちゃらなのが私です。かえって自由でいいわ、と考えてしまうので直らないのでしょうね。この事件から学んだのは「日本にいながらアフリカ人に道を尋ねるのはやめようということです」と言って、家族の心はますます私から離れていくばかり。
先日教育テレビで放送されていた「心と脳の白熱教室 楽観主義とは」においてOxford大学のエレーヌ・フォックス教授が「心から幸福を感じるものは何か」の問いかけのあと行っていたテストを紹介します。
人生の満足度テスト 7段階で評価して、最後に合計します
まったくあてはまらない 1点
あてはまらない 2点
あまりあてはまらない 3点
どちらともいえない 4点
少しあてはまる 5点
あてはまる 6点
非常にあてはまる 7点
1、だいたいの場合において自分の人生は理想に近い
2、自分自身の人生の状況は申し分ない
3、私は自分の人生に満足している
4、これまで人生において欲しいと思う大切なものは手に入れてきた
5、人生をもう一度やり直せるとしてもほとんど何も変えたいと思わない 以上です。
31~35 非常に満足している
26~30 かなり満足している
21~25 だいたい満足している
20 どちらでもない
15~19 やや不満足
10~14 不満足
5~9 極度に不満足
人生の満足度は幸福度であり、幸福を感じやすいのは「安心感」や「守られているという思い」なのだそうです。言葉を換えれば「愛されているという思い」ですね。
では富は?お金は確かに幸福に欠かせないのですが、これは必要なものを手に入れるに足るお金であって、富裕度が増すほど他人との比較を意識することになり、かえって幸福度が減っていくというのです。イースターブルックの進行逆説というのだそうです。
健全な楽観主義とはいつか物事は好転すると考えること。悲しい思いやマイナスの感情や経験をしても「この先はよくなる」と考えられるかどうかなのだそうです。
明日はこの続きの「楽観性の心理テスト」をご紹介致します。
最初の質問の答え・・・パラシュートでした。おわかりになりましたか?ではまた明日。