ダウンはもうクリーニングに出してだいじょぶですよ~、とお天気のお姉さんが言っていたけれど、まだまだ寒い日があるようですね。
週末のお花見は無理だとも。
入学式あたりには満開になっているのでしょうか。
さて、昨日のお願い事について、いろいろな質問が寄せられています。
Q、昨日のブログを今日読んで、「間に合わなかったぁ」とがっかりしているのですが、もう間に合いませんよね?
A、いいえ、間に合いますよ~。「新月のお願い事」は、72時間くらいあとでも効果あり、という説もありますので、是非なさってみて下さい。Void Time(避けるのが賢明な時間帯)を気になさる先生もいらっしゃいますが、そこを気にして結果書き忘れてしまうくらいなら、気にせずに書いた方がよいと私は思います。
お願い事を書き出すのは、本当はいつでもいいんです。ただ、月にはパワーがあります。特に、「無」から新たに生まれる意味を持つ「新月」には、特別な力が宿っていますので、そのパワーを取り込もうというのが、新月のお願い事なのです。そして、「新月のお願い事」をするなら、いったん「無」の状態になったのを見届けてからが有効ですので、「新月」になる時間を知ることが大切になってくるのです。
Q、心の中で願っているのではダメなんですか?
A、ダメではないと思います。「思う」ことは既に動きを起こしているのだそうですから、「思う」「心の中で願う」「祈る」など全て価値があると思います。
さらに、「書く」ことで、思考の整理ができるという効果があると私は考えます。
お願い事はなるべく具体的な方がよいと申し上げましたが、その方がイメージしやすいからなのです。
常にイメージして心に描いていたら、そのうち実現しそうですものね。
Q、欲しいものが手に入りません。どうしたらよいですか?
A、案外簡単なことです。自分が欲しいものを人に提供するんです。
古代チベット仏教の教えには、「自分と同じものを望んでいる人に、その人を助けるために何か実行する。それがよい種を蒔くということ。それが自分にかえってくる」というのがあります。
すぐに実行できるものでは、「ありがとう」と感謝されて当然だという場合、こちらから心をこめて「ありがとう」と言ってみる、ということがあります。
これを知ってすぐに意図せずに私はやっていました。
自分としては「そのこと」に時間を割き、労力も割き、頑張っていました。私の時間と労力のおかげで助かっている人がやって来ました。ところが私のやっていることなど当たり前だと思っているようです。私の心はやりきれない思いで虚しさが広がりそうです。
ここで、私はゆっくり息を吐いてみました。すると脳がシータ状態になったようで、「やらせていただいてありがとうございます」と口走っていました。自分で自分に「なに言ってるの?」と突っ込みを入れながら、です。
すると不思議‼
これまで同じことをしていても「当然!」という感じだったり、反対に注文をつけられていたのに、相手から「こちらこそありがとうございました」と言ってくれたのです。
その一瞬、私の美徳が発揮されたのですね。
つまり、「時間と労力を使ってやっている」という気持ちが、その瞬間、いつもと正反対の「大切なことだから任せてもらえているんだ」と思えたのです。そう思うことで、これまで言われたことのなかった「ありがとう」を受け取ることができたのでした。
最近はこんなことがありました。
お洒落が大好きな義母に「お出かけする用事」が出来ました。新しい洋服を新調したら、気持ちも華やぐだろうなぁと思い、前もって「これなら似合うだろうな」というものを見ておいて、先日のお墓参りのあとお店に行って試着してもらいました。
予想以上にステキです。お店の人もお世辞でなく褒めてくれます。本人も鏡に映った姿を見てまんざらでもない様子。レースの美しさも今の流行にぴったりで、とても上品です。つまり大満足のお買い物となりました。
義母の買い物が済み、何だか気持ちが開放的になったら、私も好みの服を見つけました。試着したらいい感じだったので購入しました。とてもリーズナブルだったのですが、さらにお店から商品券をいただいたのです。ことさらクジ運がよいというわけでもない私にとっては嬉しい出来事でした。
小さなことではあるかもしれませんが、気持ちを入れ換えるだけでこんなことが起こるんだなぁと思いました。
話を聴いてもらいたかったら、まずその人の話を聴いてみる
ひとりでいるのが寂しいなら、ひとりきりの人を訪ねてみる
目の前の人に明るくしてほしかったら、自分が明るくなる
「北風と太陽」のお話とどこか通じるものがあるかもしれませんね。服を脱いでくつろいでもらいたかったら、温かくするんですね~
一緒にやってみませんか。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。