武力放棄した徳川4代将軍

台湾で観光帰りのバスが炎上してたくさんの被害者が出たようです。ドイツでは走行中の列車内で斧やナイフを振り回した少年があらわれたそうです。先日はフランスのニースでは花火見物客へのトラック暴走、トルコではクーデター勃発・失敗・・・連日、刃物や金属の関連した事件や事故が続きます。

今年「丙申(ひのえさる)」の「丙(ひのえ)」は太陽、「申(さる)」は金属・刃物をあらわしますので、その象意のあらわれなのでしょうか。

どうぞこれ以上続くことがありませんように。

 

「今でしょ!」で一世を風靡した林 修さんの番組を見ていましたら、徳川4代将軍の家綱というあまり知られていない将軍が、江戸の町の発展になくてはならない人物だったという話を東京大学の本郷先生という方が説明していました。

「明暦の大火(めいれきのたいか)」と呼ばれる大火事で江戸城の天守閣が燃えてしまったそうなのですが、その再建をやめたというのです。天守閣とはいわば江戸の町を軍事的に守るものでした。「天守閣を建てるお金があるなら、江戸の町を整備するために使おう!」と言ったそうなのです。

「これからは軍事の時代ではない、平和に町作りをする時代だ」との思いから、「人の日常生活を大事に考える」という思想が生まれたというのです。

本郷先生は続けます。「徳川家綱(在位1651年~1680年)は江戸の町の発展になくてはならない存在だったと言えます」と。

「直接その意見を言ったのは側近の保科正之ですね‼」と物知り林先生はつっこみます。

「その通り。将軍の側近だった保科正之こそが、家綱の平和な町づくりを支えた人物です。」そして、その保科正之は2代将軍秀忠の息子であったそうです。家綱からみたら「おじさん」にあたるのだとも。

そして本郷先生はこんな言葉でまとめます。

「家綱が立派な将軍だったというのは、家綱を盛り立てていく今でいえば政府閣僚みたいな人がえらかったのです‼」

知らなかったぁ。

家綱は敢えて天守閣を作り直さないことによって武力で決まる時代は終わって平和な時代になったと世に広くしめしたのです、と林先生は締めくくりました。

 

都知事選がいよいよ白熱してきました。広い見識と弱者の視点も持ち併せる人がこの東京をリードしていく知事に選ばれることを祈りたいと思います。

今晩も寝苦しくなりそうです。

体調を崩しやすい今日この頃ですが、どうぞお身体に気をつけてお過ごしくださいませ。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。