今日は久しぶりに晴れ間がありましたね。
ありましたね、といっても、日本全国おんなじではないですよね。
私が小学校に入った頃の国語の教科書は、1ページ目をあけると
確か「さいた さいた さくらがさいた」と書いてありました。
入学式に桜が咲いているって、ごく当たり前の光景だと思っていました。(最近は散ってしまうことも珍しくありませんが)
でも、これって日本の中央だけの現象なんですよね。
雪深い東北や北陸、北海道では、入学式に雪がまだ残っているところだってあることでしょう。
こうやって考えてみると、当たり前と思っていることが実は自分のまわりだけの当たり前であることが多いことに気が付くと思います。
さて、話が飛びました。
今日は久しぶりに晴れ間が、東京近辺ではありましたが、
自宅の隣の空き地には早くもトンボが大群で飛んでいました。
またご近所では早くも萩(はぎ)の花が咲いています。
クサカンムリに「秋」と書くように、萩は秋の七草のひとつです。
また、万葉人(まんようびと)が最も愛した花でもあります。
夏が来ていないのに早くも秋かぁぁぁ‼
さて、やっと本題。
夜になって、かのジェームス・スキナーから来たLINEのメッセージを読んでいましたら、
経営学の父と呼ばれるピーター・ドラッカーの言葉が紹介されていました。
それが、「激変の時代にこそ本質を学べ」という言葉です。
そう、今は激変の時代です。
機械化が進んで携帯ができた。
世界の裏側と瞬時につながれます。
スマホの登場によって、さらに便利さが増しています。
スマホ1台で、メール、電話、LINE、Facebook、メッセンジャー、電話、パソコン、お金の振り込み、カメラ、アルバム、メモ・・・
ありとあらゆることが可能になってきています。
お出かけにスマホを忘れると大変なことになることが多いです。
大切な通信の手段なわけですから・・・
様々な価値観も生まれています。
というより、価値あると思われてきたものがどんどん変化しています。
安定と思われていた「銀行」や「大企業」も存続の危機が迫っています。
マイカー、マイハウスという言葉通り、所有することに価値があったものも、
今やシェアでもかまわないといった風潮になっています。
貨幣もこのままであるのかどうかわかりません。
急速に変化してきたものが、これからさらに「激変」していくのでしょう。
こんな時こそ、おそれずに、落ち着いて、もともとはどうだったか?と振り返ってみたらいいのです。
案外シンプルだと思います。
複雑にする必要はない、ですよね。
変わらない本質を持っていれば変化にも柔軟に対応できます。
芯がブレない、ということです。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。