色々なかたちで秋を感じるこの頃です。
14日の晩は、友人の息子さんが関係している狂言を観てきました。
場所は四谷三丁目のこじんまりしたイベント会場「喫茶茶会記」で、毎月第2木曜日に開かれる狂言ライブで、その名も「路地裏de狂言」といって、大蔵流狂言方・大蔵弥太郎氏と弟子たちの会です。
笑いの芸術ともいわれる伝統芸能・狂言を、好きな飲み物を片手に、演者とも近い距離で楽しむことができました。
終わったあとはそのまま店内で座談会もあり、観客も楽器奏者や演劇に関連する方がいらしたりするので、互いの情報交換の場所ともなるユニークな会なのでした。
会場に、シタール奏者の方がいらしていて、占星術と合わせたライブをなさると紹介されていたので、いかにもインドだなぁ、今読んでる「アガスティアの葉」と関連するなぁと思ってご本人に尋ねてみましたら、なんとその方のお母様がシータヒーラーだとわかり、今日もまた面白い出会いがあったなぁと不思議なご縁を感じました。
さて、今日の演目は「栗焼(くりやき)」、そして「月見座頭(つきみざとう)」。
どちらも「秋」の風物が描かれていて、季節をじっくり味わうことができました。
「栗焼」は、見事な栗を客人に振る舞うので焼いてこいとご主人に命じられた太郎冠者(たろうかじゃ)が、栗を焼くシーンが見どころです。火をおこし、栗がはぜて飛ぶ。本当に目の前にで栗を焼いているように見えるのは演者のうまさでしょう。
さて太郎冠者、焼きあがった栗のうまそうな様子に我慢できず、最初は小さなものを一つだけつまみ食い。
しかし一つで済むわけはなく、一つは二つ、二つは三つ・・・と気づいたら全部食べてしまいます。最後は開き直りです。「わかるわかる」と思わず太郎冠者に共感しながら観ています。
あぁ美味しかった‼
しかし、その言い訳をご主人になんと言おう?
そこは太郎冠者、巧みな言い訳を用意します。
最後まで目が離せないおかしさにすっかり引き込まれてしまいました。
もう一つの「月見座頭」は、風情があってしみじみとして、人と人との温かい交流が描かれて、最後は人の心の不条理さが描かれた作品でした。
秋の晩、野に鳴く虫の声を聴きにやってきた男がいます。
今よりも虫の音に敏感だったろう状況に加え、その男は目が見えないものですから、虫の声を聞き分けて楽しんでいます。
そこへもうひとりの男が登場。彼は目明きです。
二人は意気投合して酒を酌み交わし、「よい時」を過ごします。その様子が実に楽しそう。
やがて別れの時間となります。ひとりは「上京(かみぎょう)」へ、もうひとりは「下京(しもぎょう)」へと別れたのですが、何故か目明きの方の心が突然に変わるのです。
先程までの穏やかで陽気だった男が、急に踵(きびす)を返して、盲目の男に体当たりしていくのです。
さらには引きずり回す、というとんでもない行為をしでかすのです。
先程までの和やかな宴はどこへやら、観客の背筋に寒気が走ります。
最後に盲目の男が「くさめ、くさめ」とクシャミを二度ほどするところに哀愁と、ちょっとしたおかしみがあって、そのまま舞台から消えていきます。
秋をテーマに二つの異なった世界を感じることができました。
さて、二つ目の演目には百人一首の歌が二つ披露されていました。
そのひとつ「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」は月曜日に見に行った矢萩春恵さんがお着物に書いた歌でもあります。
そして今回私が作ったテストで、その意味を記述させる問題を出した歌でもあり、有名な歌とはいえ思わぬ場で出会ったのもまた面白いなと思いました。
そして昨日は小学生に、秋の風物を書き出すということをやってもらって、「栗」も「虫の声」もでてきましたので、今も昔も季節に寄せる思いに共通点がまだあることにほっとしています。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。