お花の思い出

3月10日は東京大空襲の日。

そして昨日の11日は、東日本大震災の日。

どちらの日も、私の中では「お花」の思い出が頭をよぎります。

 

東京は両国にある震災記念堂には、関東大震災と東京大空襲で命を落とされた方たちの魂が眠っています。

20代の半ば、花泉会の一員として震災記念堂に鎮魂のためのお花を活けに行ったことがあります。

お花の先生である小泉晁泉(ちょうせん)先生との出会いや生涯にわたるおつきあいは、また日をあらためてお伝えしたく思いますが、今の私の人生に大きく影響を与えてくださった方のひとりといえる存在です。

晁泉先生のお宅は元麻布にあり、あの麻布中学・高校のまさにお隣でした。先生のご主人の小泉清明先生が麻布のご出身だった関係で、同じく麻布出身の田村哲夫先生にご縁があり、当時私は渋谷にある高校に勤務していました。

お花を活けた帰り道、晁泉先生に「明日、お花のお水を取り替えるのできる?」と聞かれた私は、軽く「はい。」と答えました。大好きだった先生のお役に立ちたいと思ったからです。

当時住んでいた門前仲町から両国は、バスに乗ればわずか15分ほどの近さです。渋谷から帰ってから両国に行くのはわけないと思ったのです。

 

翌日の晩、晁泉先生から「美也子ちゃん、今日はありがとね」とお電話をいただきました。

私は「すみません。急な仕事が入ってしまってお水の取り替えはいけませんでした。明日は必ず行きます!」と答えました。早く帰れるはずが急な仕事が入ってしまい、それどころではなかったのです。

「わかったわ。大変だったわね」という答えの代わりに、私はぴしゃっと叱られました。

「行けなかったことは仕方ありません。それなら、連絡をしないといけませんでした。貴女がいけないなら、ほかに行ってくれる人はいたのよ。お花は生きものです。それを覚えておいてね‼」

いつになく厳しい口調でした。

私は電話のこちら側で泣いてしまいました。そしてさらに叱られました。

「泣くのは卑怯です。叱られて泣くなんていけません」

 

今、思うと全てきわめて当たり前のことです。情けないことに20代半ばの私は、そんなこともできないくらいの甘ちゃんでした。

 

この小泉先生ご夫婦には、本当に私は真剣に叱っていただき、真剣に愛していただきました。

ご主人の清明先生との出会いが、まず「お叱り」だったことは、そのうちお話しさせてください。能天気な私は常識知らずのために、よく叱られていたのです。

 

さて、この事件から学んだ大切なことは、

①できない約束はしてはいけない

②急用ができたのなら連絡をする

③叱られて泣くのは卑怯だ

④お花は生きている

⑤真剣に叱って下さることは有難い  です。

 

その後も晁泉先生には随分と目をかけていただき、深い絆で結ばれていた、と私は信じています。

昨年のちょうど今頃、先生は天国に召されましたが、その時私の夢に先生は出ていらっしゃいました。ご家族からご連絡しただいたとき、何となく私は気づいていました。

お線香をあげにお宅にうかがったとき、不思議なことがありました。

「あらぁ、貴女が来てくれたので、お着物が出てきたわぁ‼」

晁泉先生がご自分で気に入って作られた黒留袖を、最後に着せて見送ろうとご家族は思っていたそうなのです。ところがどこを探しても見つからない。結局、別のお気に入りのお着物を着せて差し上げたそうなのですが、私がうかがうことになったらどこからともなく黒留袖が出て来たというのです。

「これはきっと母が貴女に受け取ってほしいって言ってるんだわ」ということで、私は大切なお着物をいただくことになったのでした。

私のまわりには、不思議なことがたくさん起こります。心意気の一流の方との出会いが今の私を作って下さいました。感謝あるのみです。

 

 

さて、3月11日のお花の記憶。

今の職場(多摩地域にある女子校)に呼ばれたのは、東日本大震災の起こる4日前の2011年3月8日のことです。

その日、自宅の庭に楽しみにしていた黄色い水仙の花が咲いたのでよく覚えています。

「うちで働きませんか?」というお電話を当時の校長先生から朝いただいて、午前中は前の職場に行く旨を伝えると、それでは午後に、とのことでその日の午後には面接に出かけました。

うかがってすぐに採用が決まり、翌日は3月9日。「3月9日」という曲が好きで「3月9日」にチケットを取ったレミオロメンのコンサート。場所は横浜アリーナ。これが最初で、そして最後のコンサートになりました。その年にレミオロメンは解散してしまったからですが、それを知るのはもう少しあとのこと。

余韻にひたって翌々日の3月11日。渋谷にある職場に「お世話になりました」のご挨拶をした直後にあの激しい揺れに襲われました。建物の7階にいました。いつもいた9階の研究室は書棚から本がなだれ落ちたのですが、ちょうどご挨拶のために7階までおりていたので本に埋もれずにすみました。しかし、怒涛のような記憶が鮮明に残っています。目を閉じると、あのときのことははっきりと思い出されます。

地震と津波と原発と・・・

あれからはやくも6年の歳月が経ちました。まだまだみんなで手を携えなければならないというのに、避難している方たちを追い込むようなことが起こっている現実に愕然とします。想像力の欠如は情けないことです。必ず自分に返ってくることを知らないのですね。

 

昨日、あの日庭に咲いた水仙が風に揺れている姿を見ました。

人の心の不甲斐なさに比べて、お花は本当に可憐です。

IMG_0566(風に揺れる水仙の画像です)

 

そして、今日3月12日。

お花と心を通わせることを学んできました。シータヒーリングの中の「プラント」というセミナーです。

植物から学ぶことはたくさんあります。

その一部を明日、皆様にお伝えできたらと思います。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。