自分が望む生き方こそベスト

どこからともなく甘い香りが漂ってくる季節となりました。

甘い香りと聞いて何を連想なさったでしょうか?

私は書きながら「金木犀」を頭に置いていましたが、今日仕事の帰りに立ち寄ったスーパーで思わず買った「焼き芋」も秋を代表する甘い香りに入るかもしれませんね。

 

庭のムラサキシキブも紫色が濃く色づいてきています。

 

 

 

さて、教えている高校生たちが進路を真剣に考えています。

私がアドバイスするのは、「自分が望む生き方をすること」です。

これに尽きると思います。

 

それが見つからないから困っている、という子もいます。

そうしたら、方法はいろいろあると思います。

 

見つかるまで探し続ける。

とにかく何かを始める。

 

どちらにしても、いづれは「これだ!」というものが出てくるはずです。

 

人からなんと言われようとも、「やめておけ」とか「聞いたことがない」とか「危ない」とか「変だ」とか言われても揺るがないものと出会ったら、それはその時点であなたが望むことですよね。

あるいは思いこみかもしれない。

あるいは本当に危ないことかもしれない。

でも、あなたの魂はそれも知った上で挑戦したいと思っているなら、やるしかない、ですよね。

 

それにより何かを失うことになるかもしれなくても、

それによりほかの機会を逃すことになったとしても、

あなたはそこを通って成長するのだとしたら、やるしか選択方法はないのです。

 

よく、親のやってはいけないこととして、「先回り」があげられますね。

そっちの道に進んだら痛い思いをすることがわかったとしても、親はそれを取り除いたり、ストップをかけたりしてはいけないんです。

 

痛い思いをしてはじめて学ぶことってたくさんあると思うのです。

あらかじめそれを取り除くということは、学ぶ機会を奪い去ることに他ならないのです。

 

そして一度回避する癖をつけると、それが「習い性」になってしまいかねません。

 

だから親の役割は大変と言えるかもしれません。

 

子どもに敢えて危険を体験させる、くらいの忍耐力というか度量がないと務まらないからです。

 

ずいぶん偉そうに申しあげましたが、私自身は反省に次ぐ反省って感じです。

 

如何に子どもに苦労させないか、を考えてきたように思うからです。

そしてそれが無理だと気づいた今は、片目で見るのが上手になっています。

苦労している姿を見るのは忍びないけれども、それを通過することが学びなんだろうな、という気持ちです。

 

一生涯淡々と平坦な道を歩いていくのがお好みであったとしても、どこかで必ず「学び」のプログラムが各人の人生には組み込まれているように思います。

波乱万丈の生き方を望む人も中にはいますよね。そういう人は常にアップダウンの激しい道を選んで、「生きている」実感を強く感じることを選択します。

 

どちらがよいとかではありません。

どちらを希望するか、だと思います。

 

人は死ぬ時に何を後悔するか?という話はご存知ですか?

「あれをやらねばよかった!」ではないそうです。

「あれをやっておけばよかった!」なのだそうです。

 

あなたは何をまだしてないですか?

真に「望む生き方」をしていますか?

あと何をしていきますか?

 

今日からでも、本当にやりたいことから逃げずに、「望む生き方」をしてみませんか?

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。