花街のおもてなし術

テレビがつまらなくなった、という人がいるけれど、ミーハーの私は結構テレビから学ぶことが多いです。

そして大概は「これを見たい!」と思っている場合よりも、何とはなくつけっぱなしにしている時、今の自分に必要なメッセージを誰かが語っていてハッとします。

 

先日3月18日の土曜日、NHKの「助けてきわめびと」という番組を見ていて感銘を受けました。

京都の花街のおかみさん(おかあさん)の心遣いの見事さに、です。

 

パリのホテルが、相次ぐテロによりガラ空き状態だ、ということから話は始まります。

フランス人の気質なのか、お客に合わせるという発想がないのか、ガラ空きになった現在でもゲストのご機嫌をうかがうようなことはしない有り様です。重い荷物を持ってお客がやって来ても、そこには気づくそぶりを見せない。受付業務が済んだら「余計」なことはせずに、スマホの画面を見る若い従業員の姿をカメラは捉えます。

受付でいつでも同じ笑顔ができると自慢の50代半ばのマダムは、ホテルを取り仕切るベテランです。自分の笑顔には自信があるものの、いまいち納得のいく稼働率とはいえないホテルの状況。何かを変えなくちゃ。でも何を、どう変えたらいいの?

そのお困りベテランマダムの様子をビデオで見ている人がいます。京都は花街の舞妓さんの置屋のおかあさんです。いつも同じ調子のマダムを見て「あぁ」とため息が漏れます。

番組は、パリからこのマダムを招いて、花街のおもてなしを伝えるということのようです。

 

このおかあさんのスゴイところは、お客のちょっとした言葉を聞き漏らさない、のですね。

そこからお客の求めていることを瞬時に、しかも敏感に察して、でも優雅におっとりと振る舞うわけです。

 

たとえば、男性客と共にお店を訪れた着物の女性は、お膳のお酒がすすんでません。

話を聞くと「昨日は浮御堂で・・・」と語ります。

浮御堂というのは滋賀県の西で、日本酒の美味しいところなのだそうで、とっさに「昨晩は日本酒をけっこうな量召し上がったんだな」と判断します。

そこでアルコール分の軽い飲み物を勧めると、女性客は喜んでいる素振り。きっとお食事もすすんだことでしょう。

 

また、複雑な舞妓さんの衣装を着せるのは「着付け師」と呼ばれる専門家がいます。一日何人もの着付けを担当するので、そばにいて何本もの紐や帯揚げや帯締め・・・などなどをタイミングよく手渡す介添え役が欠かせません。

パリから来たマリーさんに、これをやってもらって、何かに気づいてもらうという仕掛けなのですが・・・

 

着付けをする方は勿論、小物を渡すのも熟練の技が要ることは、傍から見ていてもわかります。

マリーさん、タイミングが合わないんです。

早く渡そうとしすぎると、イラっとくる

遅すぎても、イラっとくる

渡す手の位置も、無理なく取れるところがよいそうで・・・

ちょうどいい間合い(タイミング)で渡すことが大事なんどす・・・わかっちゃいるけど・・・ね(泣

 

相手の望むことに神経を集中させるんです、ひたすら。

色を消し、色を生むことが大切なんどす」

何より「個」を重んじるフランス人のマリーさんにはさっぱりわかりません。

「色を消したら、個性もなくなっちゃうんじゃないかしら?」

 

するとおかあさんは動じることなく答えます。

色を消すとは、自我や固定観念を消すということなんどす」

それは真っ白いスポンジのようになるということでもあるんどす」

 

つまり、人間としての個性をなくすのではなく、相手の気持ちに寄り添うことなんだと語ります。

 

マリーさん、本当に泣いちゃいます。「撮らないで‼」とカメラを本気で制していました。

 

撮影の時期、「のどぐろ」というお魚が美味しい季節で、マリーさんもお座敷でお客さんと共に振る舞われます。

魚は頭の部分と尾の部分とに分かれています。

「のどぐろ」の喉が黒い話を聞いた直後だけに、当然自分には頭の方がくると期待していたマリーさんに、尾っぽの方が振る舞われます。

さすがフランス人。「どうして私には頭のほうではないの?」

頭の部分が振る舞われたのは男性でしたので、さらに腑に落ちない様子。

 

するとおかあさんが言うには、「頭のほうは食べにくいんどす。お箸でたべるには尾っぽのほうが簡単だと思ってこちらを私の判断でお出ししたのどす。」

 

色とは思いこみだとおかあさんは言います。

色を消すことで思いこみを消す

思いこみを消して、相手を思いやる

 

これ、シータヒーラーのも同様のことが言えるのです。

自分が正しいと思ったことを相手は望むわけではありません。

相手に徹底的に寄り添うには、自分をどこかに置いておくことも必要です。

 

ついこの間まで、私もマリーさんとおんなじでした。

だから、流した涙の意味もわかりました。

 

最後にマリーさんを見送るおかあさんの姿からは、はんなりとした中に強いエールを見ました。

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。