秋の月の頃、人生の師の魂に触れた

浅草に伝法院という場所があります。

小泉晁泉先生を家元とする大和古流の会では、毎年そこで盛大なお花の会が催されました。

亀や鯉の棲む池とお庭にある風流なたたずまいのその建物を貸しきっての生け花の会は、谷崎純一郎の「細雪」の世界さながらの雅なものでした。

 

あれから30年余りの月日が経ち、昨日はかつてそのお花の会で仲良くさせていただいた懐かしい方のお誘いを受けて、夢のような楽しいひとときを過ごすことができました。

伝法院を髣髴とさせる、目黒雅叙園の「百段階段」における「いけばな」展です。


有形文化財として東京都に指定されている「百段階段」には、親切なことに番号がふってありました。

数段のぼるとお部屋が一つ、そこからまた数段のぼると別のお部屋・・・という風に趣きの少しずつ異なるお部屋に、全部で51の流派のお花が活けられているのでした。

そしてのぼりきった最後の段は、何と100段ではなく99段だということを初めて知りました。

奇数が縁起がよいということと、完全でないのがよいという二つの理由から100になってないのだそうです。

さて、絢爛豪華なそれぞれのお部屋をまわるうちに、誘って下さったSさんやほかの仲間たちと共に過ごした日々が、とても愛おしく思い出されたのでした。時間て飛び越えることができるのですね。


 

 

 

 

 

 

お部屋の装飾はそれぞれでしたが、余りにも艶やかな壁・天井・床の間と調和のとれたお花を選ぶのは大変だなぁと感じました。

私が心ひかれたのはシンプルな「葉蘭」です。

生け花経験者ならご存知の通り、この「葉蘭」を活けるのは大変難しいのです。

こちらは全部で17枚の葉からなる作品です。

使う葉っぱは必ず奇数です。だから左右対称の美ではない、ということです。

西洋の美が左右対称なら、日本の美は「違い棚」にみられるような非対称なんですね。

1枚たりとも無駄があってはいけないその世界は厳しいものです。

だから雰囲気で活けちゃう私のようなタイプにはかなり難しいものと言えるのです。

 

半日Sさんと過ごして、「時を超えた関係」というものを感じました。

「きっと晁泉先生も私たちと一緒にいらしたわね♡」とSさんが言うように、昨年亡くなった先生もそばにいらした気がします。

そして、一般公開されていない伝法院を毎年生け花の会場にできたのか、そこには晁泉先生の浅草寺への信仰があったということをSさんから知らされました。

だから「お花の会」のメインに、浅草寺のご住職による「花供養」が行われたのだと思い当たりました。

 

 

そうして今日。大好きだった伯母の法事(7回忌)でしたが、お経の間、雨もそぼ降るような曇り空にもかかわらず、屋根の上から明るい光が差し込んでいました。

「ああ、伯母がいるんだな♡」と感じました。

伯母は生涯を利他の心で生きた人です。

常にベクトルを相手に向けて、目の前の人の幸せを願って生きた「格」の高い人だったと私は思っています。

生涯独身であったため、弟や妹たちの子(甥や姪ということになります)を自分の子のようにかわいがり、神や仏さまを大切に考える姿に私は共鳴していました。

「てる子」の名前の通り周りを照らし続けた人生で、それは私の誇りです。

今日も伯母のために集う甥や姪たちを、屋根程の高さのところから、かなり強めの光で照らしてくれていたのです。

そして伯母の戒名は「秋月が照らす」という意味がこめられていることは実に興味深いと思います。

 

秋の月の美しいときに、ふたりの「人生の師」を思うひとときを過ごせたことに感謝したいと思います。

 

本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。