今日は日本列島、焦げつきそうな暑さ(熱さ)でしたね‼
日本の夏はかつてこんなじゃありませんでした。宿題をせかしてやらせる子は我が家にはもういませんが、私が子どもの頃の夏休みによく言われたのは「涼しいうちに宿題やっちゃいなさい」という言葉でした。
今は早朝からじんわり暑いですから「涼しいうちに」という言葉は死語になっているかもしれませんね。
さてそんな暑い頃、この日本は「6日広島」と「9日長崎」そして「15日終戦」を経験しました。
昨日8日は父の命日ですが、昨日は義母に付き添う用事などあったので、今日こそ実家のお墓参りを・・・と昨晩までうっすら思っていましたが、「今年一番の猛暑になります」との報道に断念しました。下町情緒溢れる谷中が父方の、そして本郷の東大赤門前に母方のお寺があり、いつも両方をかけもちするのが習慣です。
大好きだった伯母とよく歩いて二か所のお参りをしたものです。その伯母ももういません。そしてその本郷のお寺の敷地内には「わだつみ記念館」なるものがあり、太平洋戦争に出ていった若い兵士の手紙や写真などの貴重な資料が保存されていました。今年の春のお彼岸に訪ねていったときにはなくなっていました。残念なことです。
さて、今日は長崎県出身の内村航平選手がエースである男子体操が悲願の金メダルをとりました‼
内村選手は、みごと心に巣食う「魔物」を追っ払って、平常心で競技に専念したのでしょう。ロンドン以来、チームでの「金」獲得のために、本番と同じ条件での練習をし続けたといいます。たっぷり2時間かかる全種目通しての練習はあまりに苛酷なものらしく、内村選手といえども週に2度が限界だったとか。
一つのことを心に描き続けることも、そのための並々ならぬ節制と練習をすることも、そして実現させてしまうことも、全てスゴイことですね。
そして「自分の仕事」と認識して全員が一体となって挑む姿は、本当にすばらしいものでしたね。
一番若い白井健三選手が「今日は一番心臓に悪い日、でも一番幸せな日」と語った言葉は今年の名言になりそうです。
どの選手も「思いのこもった重いメダルです」とその重さをいとおしむように何度も確認していたのが印象的な姿です。
71年前の今日8月9日午前11時02分、長崎に原子力爆弾が落とされました。そう、今日は長崎・平和祈念式典の日でした。7万4千人の命が奪われた日です。忘れてはならない日です。
田上富久長崎市長の「長崎に来て下さい。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです」と語った言葉の重みを胆に銘じたいです。
広島の秋葉市長の訴えも毅然として立派でした。そして広島の式典では毎年「子ども代表」として2名の小学生が言葉を届けてくれるのに対して、長崎では被爆された高齢の方が実際の体験談を語りますね。貴重な言葉、これからどうやって保っていくのでしょうか。命がけの被爆体験者の声にもっと耳を傾けなくてはなりませんね。
そして私が毎年号泣しそうになるのは「あの子」の合唱です。ご自身も被爆された長崎大学医学部の永井隆博士が作詞した曲です。合唱曲が心をうちます。
一、壁に残ったらくがきの おさない文字のあの子の名 呼んでひそかに耳すます
ああ あの子が生きていたならば
二、運動会のスピーカー きこえる部屋に出してみる テープ切ったるユニフォーム
ああ あの子が生きていたならば
三、ついに帰らぬおもかげと 知ってはいても夕焼けの 門(かど)に出てみる葉鶏頭
ああ あの子が生きていたならば
ご覧になれなかった方はyou tubeにアップされていますので、是非ご覧になって「あの子」を聴いてみてください。
さらに長崎の純心女子高校の生徒さんが歌う「千羽鶴」の歌も心に迫ります。被爆50周年を記念して応募して選ばれた詞に、長崎出身の大島ミチルさんがメロディをつけたものです。カトリックの純心女子高校は大島さんの母校でもあります。慈愛に満ちた歌詞が美しく切ないです。これもyou tubeで聴くことができますので、よろしければどうぞ。
オリンピックでメダルをとることを使命として自分に課す人生もあれば、戦争体験を語り継ぐことを使命と感じている方もいっらっしゃいます。
どちらも真似できない貴い生き方です。
それでは私の使命は?
なんとなくわかりかけてきた今日この頃です。
「使命」は誰にでもあります。そしてひとつとも限らないようです。変化することもあるようです。
あなたの使命は何でしょうか?お読みくださっているような皆さまは、自然とそちらの方向に進んでらっしゃるかもしれませんね。
本日もおつきあいいただきましてありがとうございました。